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2013年3月2日土曜日

気になった一文集(日本語 ver. No. 8)

グリーン資本主義 - グローバル「危機」克服の条件
佐和隆光 著
岩波新書 2009年12月 第一版
¥700 -

21世紀は「環境の世紀」と言われるが、その意味するところを、私は次の二点に要約する。第一に、地球環境問題なかんずく地球温暖化と気候変動がますます深刻化し、人々のそれらへの関心が空前の高まりを見せるであろうこと。第二に、環境制約を打ち破ることが技術革新(イノベーション)の標的となり、そうした技術革新が経済成長を牽引すること。(pp. 6)

ポスト京都議定書においては、気候変動を緩和するために必要十分なだけの厳しいGHG排出削減義務を先進国に課すことが、グローバル・ケインズ主義とグリーン・ニューディール政策のインセンティブとなり、ひいてはそれが、世界経済の持続可能な発展をもたらすのである。(pp. 12)

滅多やたらとホットエアを買いあさるのは、「排出権取引は補足的である」という議定書の定めに違背することとなり、「国内対策を怠り、金にものを言わせて排出枠取引頼みで目標を達成する」日本は、国際世論の批判を免れ得まい。(pp. 24)

20世紀の100年間に、なぜ技術革新が相次いだのだろうか。その理由のひとつは、19世紀末に人類が石油と電力という二つの動力源を手に入れたことである。(pp. 37)

20世紀が「電力・石油の時代」であったことの裏を返せば、20世紀は「二酸化炭素(CO2)排出の世紀」だったということになる。要するに、人為起源の(anthropogenic)CO2排出量を増やし続けることにより、20世紀の世界経済は発展・成長したのである。(pp. 40)

皮肉なことに、20世紀型産業文明のもとで破壊され汚染された環境を浄化し、地球温暖化・気候変動を緩和し、それらへの適応を図ることが、21世紀の科学技術に課せられた最大の課題なのである。(pp. 42)

地球温暖化対策(気候変動緩和策)は、決して経済にとっての重荷ではない。のみならず、この制約を打破するための技術革新がエコ製品を生み出し、その普及が、これからの経済成長を牽引するだろう。(pp. 46)

欧州の先進諸国では、「足るを知る」の格言どおり、経済発展への関心は相対的に薄らいでおり、環境保全への関心が勝っている。のみならず、途上国の貧困問題への関心も高く、各国のODAの対GDP比率は総じて高い。他方、日本では、環境問題への関心はそれなりの高まりを見せてはいたのだが、途上国の貧困問題への関心は無きに等しいほど乏しかった。(pp. 53)

ブッシュ氏に限らず、人間だれしもが、自分にとって「不都合な真実」には目をつむりがちである。(pp. 55)

かねて「科学的知見が不十分である」ことを理由に、CO2排出削減などの温暖化対策の必要性に疑義を呈してきた向きも、IPCCの第4次報告書の公表により、寡黙にならざるを得なくなった。(pp. 56)

IEA(国際エネルギー機関)は2030年には1バレル200ドルを突破すると予測している。仮にそうなった場合、ガソリンで走る乗用車は明らかにぜいたく品となり、電気自動車または燃料電池車に置き換わらざるを得ないだろう。(pp. 66)
筆者は海外旅行さえも金持ちだけの特権になると予測する。

中国やインドでのモータリゼーションの進展は、自動車が近代化のシンボルであるからには、止めようがない。東南アジア諸国にしても同様である。(中略)新興国・発展途上国での乗用車の普及は、さほど遠くない将来、原油価格の高騰を招くことは必至だし、ガソリン・エンジン乗用車の普及は新興国・発展途上国のCO2排出量の急増を招きかねない。(pp. 67)

2050年については野心的な削減目標を閣議決定までしておきながら、2020年については消極的な目標しか示さないのは、40年先には、みんないなくなっているのだから、何を言おうとも、コミットメントにはならないと考えたからだとしか思えない。逆に10年先にはみんな生きているから、コミットメントになるから、なにも言いたくないのだろう。(pp. 71)
初めて排出削減に’一見’前向きな姿勢を見せた「福田ビジョン(2008年6月)」に対する批判。想像でしかないが、実際的を得ているように感じる。

輸送量(人・キロ)に占める鉄道輸送の割合が28.7%(2007年度)であることからすれば、公共交通機関である電車が低炭素かに貢献することがうかがい知れる。欧州の多くの都市が軽量軌道交通(LRT = Light Riil Transit)を導入するのは、地下鉄に比べれば、はるかに安価な投資により、CO2排出削減が可能になるためである。(pp. 77)

自家用車の排出量6%を上乗せすれば、家庭部門の排出量は21%ということになる。(pp. 78)
案外、普段の生活の中でも温室効果ガス排出削減に貢献できるかもしれない。

21世紀は環境の世紀であることをいち早く察知し、90年代に入るや否や、ハイブリッドカーの開発に取り組んできたトヨタやホンダとは裏腹に、低燃費車開発競争に無頓着だったGMとクライスラーに対して、神の鉄槌がくだされたのだ。(pp. 91)
2008年の2社の史上空前の経営危機に対して。

京都会議以降、ひたすら削減努力に励んで、05年に90年比7%削減を達成したEUに対して、05年に90年比7.7%増加の日本が「お宅の05年比の削減目標は我が国のそれより低い」と言うのは、「失礼極まりない、言語道断」と叱られても仕方があるまい。(pp. 107)

モノに満ち足りた先進国にとっては、新産業を創出し雇用を増やす唯一の施策が、高い削減目標を掲げてエコ製品の開発・普及を促進することである。言い換えれば、グリーン・ニューディールこそが、これからの経済成長のバネ仕掛けなのである。(pp. 117)

今、私たちに求められているのは、経済成長のパラダイム・シフトなのである。一言でいえば、枯渇性資源を浪費する経済成長から、循環型への経済成長へと移行することが求められているのである。(pp. 123)

地球環境の保全、なかんずく気候変動の緩和とそれへの適応は、経済背長と両立し得るばかりか、気候変動の緩和に貢献する企業の設備投資(家計の場合は耐久消費財の消費)なくしては、21世紀はGDPが成長しない「停滞の世紀」とならざるを得ないのである。(pp. 123)

海面上昇、風水害、食糧不足など気候変動の被害は、世界各国に等しく及ぶわけでは必ずしもなく、発展途上諸国がより大きな被害をこうむる。(pp. 125)

デジタル製品に次いで普及が期待される耐久消費財とは何なのか。私の想像力の及ぶ限りでのことだが、エネルギー・環境関連の財・サービスしか思い当たらない。(pp. 133)

日本の自動車メーカーが開発競争に先んじれば、EVやPHVの輸出により、日本経済の「底上げ」に貢献することは確実だ。(pp. 138)

太陽光パネルやエコカーを購入するインセンティブを付与すること。これこそが政府の役割なのである。(pp. 139)

気候変動の被害を受けやすいのは、貧しい発展途上国であり、「先進国責任論」の観点に立てば、予防措置を講じるための資金は先進国によって提供されなければならない。公害問題に対処するに当たってのPPP (plluter pays principle = 汚染者支払原則)と同じ考え方である。(pp. 145)

今後、小規模再生可能エネルギーの電源比率の上昇にともない、スマート・グリッド、すなわち系統安定化(電圧と周波数の安定化)のための系統需給調整が必要となる。(pp. 148)

電力の小売りまでが一部自由化されたことにより、10電力会社は、もはや公益事業としての自覚を失わざるを得なくなった。「普通」の企業になれと言うのなら、立地に手間隙を要し、事故リスクがゼロではない電子力発電所の建設は、企業の論理からすれば、回避されて当然なのである。(pp. 150)

CO2排出削減という点からすれば、電源構成に占める原子力発電の比率を上げることの効果は確かに大きい。しかし、立地に要する費用と時間、核廃棄物の処理費用などを加算すれば、原子力発電所の新・増設に要する限界削減費用は、必ずしも安いわけではない。(pp. 150)

食料供給の確保は、人類の生存にとって不可欠であると同時に、気候変動の影響を受けやすいという脆弱性を有している。(pp. 152)

日本では、景気の良し悪しを判断する材料として、四半期別GDPの実質成長率(実質経済成長率)がもっとも重んじられる。その理由は定かではないが、日本という国では、なぜかGDP信仰が過度なまでに厚い。(中略)外国では考えられないことである。(pp. 157)

消費者は安くて品質の優れたモノ・サービスを選好しがちである。また、不必要にサイズの大きなモノを選好しがちである。気候変動の緩和(CO2の排出削減)という点からすれば、消費者は望ましくない選好をしがちだと言わざるを得ない。(pp. 160)

政府が何かを「禁止」したり、「義務づけ」したりするのは、社会主義的計画経済ならいざ知らず、市場経済のもとでは、「選択の自由」を侵害するという意味で、とんでもなく野蛮な施策である。経済的措置は「選択の自由」を認めつつ、市場メカニズムを通じて、消費者の選好をエコ製品へと向かわせる、スマートな政策措置なのである。(pp. 162)

90年代に急発展したグローバリゼーションは、ヒト、モノ、カネ、情報の移動が安価になったことに起因する。(中略)これからの世界はグローバリゼーション転じてローカライゼーションの方向へと向かうのだろうか。右の設問に対する答えが仮にイエスならば、石油をはじめとする原燃料の大部分を輸入に依存し、食料自給率が40%の国、日本のこうむる被害はことのほか大きい。あらゆる財・サービスの価格がとてつもなく高騰する。(中略)こうした将来を見越したうえで、国内の農業の足腰を鍛え直すことが急がれる。(pp. 179)

今後、貨物輸送の運賃が限りなく上昇するとの見通しに立てば、今や国内農業の振興に取りかかるべき時期が到来していると解すべきではないだろうか。(pp. 180)

地球温暖化の防止すなわち気候変動の緩和のための国際枠組みを巧妙に設計することは、先進国から新興国・途上国への資金の流れの回路を生み出すという意味で、グローバルなケインズ問題を解決するための有力な手だてとなり得るのである。(pp. 188)

日本はハイテク製造業、なかんずく省エネ機器の製造に軸足を置いてのポスト工業化を目指すべきである。在来型の製造業は、新興国・途上国に任せておいて、日本はハイテク省エネ製造業に「特化」するべきである。(pp. 190)

発展途上諸国を豊かにすることは、単に博愛主義者の自己満足にとどまるわけではない。すでに述べたとおり、地球規模の工業製品の需給ギャップを縮減するだけではない。国際紛争やテロを根絶するという効果も、また期待されるのである。(pp. 192)

今、私たちに求められているのは、時間的視野を長期化し、空間的視野を広域化し、そして持続可能な開発(発展)を目指すことである。(pp. 193)