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2013年3月4日月曜日

「グリーン資本主義」(佐和隆光、2009年)

グリーン資本主義 - グローバル「危機」克服の条件
佐和隆光 著
岩波新書 2009年12月 第一版
¥700 -

地球温暖化を防ぐ -20世紀型経済システムの転換-」(1997年、岩波新書)に引き続き、佐和隆光氏による著書のレビュー。

印象深かった言葉をまとめたものはこちら


前回の著書からするとやや楽観的?な印象を受けた。
といっても前回の著書が1997年で2009年までに12年間もの時間の隔たりがあり、その間に世界の衰勢も日本のエネルギー政策にも多大な変更が生じている。
今や日本は原発を矢継ぎ早に停止し、代わりに化石燃料を燃やすことで大量の温室効果ガスを大気へと放出している。

首相が変わる度に気候変動緩和策についても言うことが変わる日本は、国際的な立場・発言力をも危うくしているということを僕らも恥すべきこととして捉えなければならないのかもしれない…

筆者は当然ながら温暖化を初めとする気候変動の科学的な詳細には疎いと思われるし、それがどんな被害に繋がるかについては本の中ではほとんど言及していない。
さらにその具体的な被害額を提示することもない。

本書の目的は温暖化の危険性(恐怖)を啓蒙するというよりもむしろ、もっと広い視点で、「今後の日本がどういった経済発展を遂げれば国際社会において存在感を発揮でき、国際貢献できるかの道筋を提示すること」をこそ目的としていると言って差し支えないと思う。

筆者の描く青写真通りに日本人が、国際社会が動くとは残念ながら思えなかったというのが正直な感想だった。東日本大震災一つで各国のエネルギー政策などひっくり返っているのだから。
太陽光発電であるドイツですら、原発を停止したことで石炭を燃やしまくるという事態になっている。
(結局、遠い未来の気候変動の話題など、目先に重大な危機がない限りは、忘却の彼方に追いやられてしまう程度のものでしかないというだろう)

地球科学など特にそうだが、経済学に関しても「結局のところ、理論は理論」なのだ。

ただし、中には僕自身が兼ねてより感じていた、日本が今後辿るべき道筋も明示されており、共感できる部分が多数あったことは間違いない。
もしそれが実現できれば、日本の不景気を払拭できるかもしれないと思わせてくれるほどの強い主張も多く見受けられた。

21世紀は「環境の世紀」と言われるが、その意味するところを、私は次の二点に要約する。第一に、地球環境問題なかんずく地球温暖化と気候変動がますます深刻化し、人々のそれらへの関心が空前の高まりを見せるであろうこと。第二に、環境制約を打ち破ることが技術革新(イノベーション)の標的となり、そうした技術革新が経済成長を牽引すること。(pp. 6)

上記の文言に言い表されるように、気候変動が世界のニュースを賑わせていることに変わりはない。
問題は人が重大な事態が起きているということを認識するまでの時間、そして対策を開始するまでの時間だ。
しかしながら現在十分な対策がとられているかというと、全くそんなことはない。

「手に負えなくなってからでは遅い」というのはもう20年以上も気候学者をはじめとするまともな人々が主張し続けていることだ。
けれどもそれに見合うほどの対策は取られていない。景気悪化で排出量が一時的に抑えられることはあっても、依然として人類は(特に先進国と発展途上国は)CO2を排出し続けている。筆者の言葉を借りれば、20世紀型の経済発展の方法「自動車の普及と石油の燃焼によって支えられる持続不可能な経済発展方式」である。

それに耳を傾けるほどの心理的・経済的余裕が今はないのかもしれない。


IEA(国際エネルギー機関)は2030年には1バレル200ドルを突破すると予測している。仮にそうなった場合、ガソリンで走る乗用車は明らかにぜいたく品となり、電気自動車または燃料電池車に置き換わらざるを得ないだろう。(pp. 66)

むろん権威あるIEAの予測だからといって人類がそのシナリオ通りに行動するかは分からない。
少なくとも明らかなのは石油をはじめとする種々の化石燃料はいずれ枯渇するという事実だけだ。ただし安価でもっとも燃焼効率の悪い石炭はなかなか枯渇しないし、現在でも多くの国家が自国の経済発展を優先するあまり、石炭を燃やすことで電力を賄っているという事実から目を背けてはならない。

ガソリンの価格がゆくゆくは高騰すること、国際旅行がより高価になること、それは自明のことかもしれない。
飛行機が原子力や水素、燃料電池で飛ぶようになるとは到底考えられない。

現在TPPへの参加で国際競争力が云々…と騒いでいるうちは、長期的な視点でものを考えてい人が少ないということなのだろう。
筆者が主張するように、いずれ石油価格の高騰で国際貿易が滞るのであれば、いま海外の安い製品が日本に入ってくることで日本の産業が危ういと言われていることはまさに杞憂そのものではないのだろうか。
(むろん、僕自身はTPPの中身をよく理解していないし、それが日本をはじめとするアジア各国・アメリカにどのような波及効果を及ぼすのかについては明るくないのでここでは控えめな発言にさせていただく)


持続可能な経済に話を戻したい。

少なくとも明らかなのは、現在僕らが’便利だ’、’普通だ’と思っていることは世界的には’異常’でしかないし、結果として起きているのは地球の歴史を振り返っても前例がないことばかりである。
コンビニ弁当1つ作るのにいったいどれだけの炭素が消費され、水が失われており、窒素が環境に負荷を与え、大量の廃棄ゴミを出しているのか。

食料自給率が低く、農家の数も減っている日本は真剣に自国の第一次産業について見直さなければならない。
それは石油価格が高騰して他国から商品を輸入できなくなるという理由からではない。
電力生産に用いるエネルギー資源の調達先が一国集中ではなく、多岐に渡ったほうが安全であるのと同じで、自国の国民を守るために、たとえ鎖国しても自国で最低限の食料・エネルギー生産を行うことができることが国として当然だからである。

そういう意味で、筆者の意見には強く同意する。

今後、貨物輸送の運賃が限りなく上昇するとの見通しに立てば、今や国内農業の振興に取りかかるべき時期が到来していると解すべきではないだろうか。(pp. 180)

僕自身、経済には疎いので、日本が今の不景気を脱却するのに何が必要であるかを明示することはできない。
ただ、感じているのは日本の物づくり、とりわけ省エネ技術については他国に比肩するものはないし、それを自国内ではなく、むしろ他国に売ること、技術支援することで活路を見出せるかもしれないということだ。

日本はハイテク製造業、なかんずく省エネ機器の製造に軸足を置いてのポスト工業化を目指すべきである。在来型の製造業は、新興国・途上国に任せておいて、日本はハイテク省エネ製造業に「特化」するべきである。(pp. 190)

それがひいては世界平和にまで繋がるというのは理想論としか言いようがない。
しかし、資本主義が作った、異常なほどの経済格差、経済発展の時間差がテロの誘因や暴動に繋がるほどの国際的な不満の種となっている可能性を、相対的に’豊かな’日本国民はもっと自覚するべきである。

発展途上諸国を豊かにすることは、単に博愛主義者の自己満足にとどまるわけではない。すでに述べたとおり、地球規模の工業製品の需給ギャップを縮減するだけではない。国際紛争やテロを根絶するという効果も、また期待されるのである。(pp. 192)

気候変動問題をはじめとする、現在の大量消費・大量生産・大量廃棄型の経済活動のあり方については、筆者と同じく僕自身も違和感を感じざるを得ない。


「24時間煌々と輝き続けるコンビニと自販機の照明は本当に必要か?」

「半分は捨てられる運命にあるのに、’見た目が良い’という理由のためだけにコンビニにおでん・肉まん・弁当・おにぎりがびっしりと陳列することに誰も違和感を感じないのか?」

「遠隔地から商品を’お取り寄せ’することで、一人で乗用車を運転することで、金にものを言わせて海外旅行に出かけることで排出される炭素はいかほどのものか?」

「寿司の値段を100円程度にするために、東南アジアに工場を構え、安い労働力で大量生産し、日本に逆輸入することで放出される炭素はいかほどのものか?本来寿司とはお祝い事でふるまわれる高級料理ではなかったか?」

「日本人が大好きな海老フライやエビチリの原料となるエビを養殖するために、世界各国のマングローブや沼地が破壊され、窒素汚染を招いていることをレストランで親は子供に説明するのだろうか?」

「フカヒレの材料のサメのほとんどが、ヒレだけを切除されたのち海へと投げ捨てられていることに可哀想だという感情は湧かないのだろうか?毛皮や象牙の密輸は取り締まるのに?」


シンプルな言葉だけれど、日本人をはじめとする先進国に生活する人々に必要なのは以下の言葉に集約されると思っている。






「足るを知る」






人類が頭を冷やし、持続性を真剣に意識するようになることを心から願っている。