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2013年2月27日水曜日

「地球温暖化を防ぐ」(佐和隆光、1997年)

地球温暖化を防ぐ -20世紀型経済システムの転換-
佐和隆光 著
岩波新書1997年初版 2006年第13刷 発行
¥740-

書かれたのはやや古いが、改訂を繰り返す名著。
他の人のレビューで「地球温暖化問題の入門書」として高く評価されていたが、読んでみて納得。




書かれた時代背景としては当時の橋本総理が、無茶とも言える「1990年比での6%の排出削減」を掲げた時代。
そして日本がホスト国となった1997年12月の気候変動枠組み条約第3回締結会議(地球温暖化防止京都会議)がまさに行われようとしていた時代。

そこでたとえ目標が達成できなくても何の罰則も科されない京都議定書がアメリカを除く、先進国で批准されたわけである。
また当然、途上国にも強い排出削減要請は行われなかった。

もちろんそれから15年が経過した今でも大気中のCO2濃度は依然として急速に上昇し続けているし、当時日本が掲げた削減目標が達成されることがなかったのは火を見るよりも明かである。

さらに当時は日本からの排出も世界的に大きな部分を占めていたが、現在では中国がダントツとなり、15年間で随分と趨勢が変わってしまった。また今後改善する兆しも全く見られない。

古本屋でたまたま見つけ、古い文献だし参考程度に…と考えていたら、案外時代が変わっても書かれている内容は今の時代にも十分に適応できるものであり驚いた。
依然としてヒトの暮らしはそれほど変わっていないし、相も変わらず持続不可能な大量生産・大量消費・大量廃棄型の生活を続けているのが21世紀の人類である。
(夢の核融合は実現していないし、車もまだ空を飛んでいない)

筆者が特に強調するのは、「持続可能な経済システムへの転換に急を要すること」と「その転換は短期的には損失を伴うかもしれないが、より長期的な視野で望めばプラスの効果が得られる」ということ。

とても納得できることが多かったので、参考になった文言をこちらにまとめておいた。

時間的な視野の拡大という意味においては地質学者ほど長期的な視点で地球を、そして環境を捉えているヒトはいない。
地質業界では数百万年前ですら最近と呼ばれることも少なくない(地球の歴史は46億年もあるのでw)。

将来に目を向けた場合、いずれ地球もまた他の惑星と同じく太陽が膨張することで蒸発する運命にあるのだが、それはまだ数十億年も先のことであるし、それまでに人類は地球を飛び出しているか、隕石衝突などの環境変動や自らの技術で滅びているかのどちらかだろう。或いは気候変動に適応できず絶滅しているかもしれない。

そこまで先の話はあまりに現実離れしているので一般の人には何ら興味のない話に違いないが、少なくとも温暖化は「子供の世代」「孫の世代」にも負の遺産を残すことになると考えれば少しは人の考えも変わるのだろうか?

温暖化問題が顕在化した1980年代頃と違い、最近では劇的な気候変動が次から次へと起きている(巨大ハリケーン、熱波、寒波、海水面上昇、北極の海氷後退など)。

日本人は四季がはっきりとした、さらに熱容量の大きい海に囲まれた島国に生きているため、気候変動に関して鈍感な側面もあるかもしれない。
しかしながら、現に気候変動は既に進行しており、さらに悪いことに、これまでCO2を大して排出してこなかった途上国やその他の貧困国もまた大きな被害を負っていることが極めて大きな問題である。
さらに被害者と加害者が存在することが地球温暖化問題の厄介なところである。

また20世紀型の経済成長は明らかに化石燃料をはじめとする資源の大量生産・大量消費によって支えられていたことは誰の目にも明らかである。さらに筆者は大量廃棄の文化は日本が作り出したものだと断定する。

先見の明のある著者は1990年代頃から温暖化問題に興味を抱き始め、著書等を通して「温暖化の危険性」、「排出の少ない経済システムへの転換の必要性」を唱えてきた。

最近の著書である「グリーン資本主義(2009年、岩波新書)」も図書館で借りてきたので、そのうちレビューを書きたいと思っている。
ただし2011年の東北沖地震前に書かれたものなので、そこで掲げられている経済施策などはおそらく現在となっては全く民意にそぐわないものとなっているだろう。いずれにせよ、本書の内容が非常に優れていたので、一読の価値があると思っている。

とても心に響いた言葉が以下のものである。

日本人の環境問題への関心は総じて低く、公共的なモラルの水準も高くはないし、発展途上地域に対する関心も総じて薄い。(中略)一つは、この国の一人当たりGDPは世界一であるにせよ、日本人の生活は「環境にやさしい経済活動ができる」ほど十分「豊か」ではないこと。(中略)もう一つは、この国に住む人々の学歴は高くとも、「環境問題に不安を抱いてきちんと発言できる」ほど、その知的水準は高くないことである。(pp. 66-67)

これまでの高度成長において日本は世界に多大な影響を及ぼしてきた。そしてその結果作り出した世界を、現在ではBRICsが排出のほとんどを担っているからといって責任を逃れることは許されない。
日本の優れた省エネ・新エネルギー開発技術はこれから発展する途上国に積極的に輸出する必要があり、途上国の経済発展の方向性を、先輩である先進国が指導しない限り、「CO2をはじめとする温室効果ガスの長期安定化」や「2℃の温暖化に抑制(避け難いとの報告も既になされている)」は夢物語のままである。

大量生産、大量消費の文明は、1910年代から20年代にかけてのアメリカにおいて形作られた。ところが、その後に大量廃棄の四文字をくっつけたのは、戦後の日本ではなかったろうか。(中略)地球温暖化問題の突如の浮上は、大量廃棄を組み込んだ戦後日本の高度成長の持続可能性に対して警鐘を打ち鳴らすに至ったのである。20世紀型工業文明を見直し、21世紀型の新しい文明を構想することを、大量廃棄を高度成長の基盤の一つに据えてきた私たち日本人に課せられた、重い課題と心得なければなるまい。(pp. 60-61)
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このままヒトが温暖化の危険性を無視し続ければ、白亜紀やPETMの頃のような、超・温暖化世界も案外起こり得るかもしれない(北極の気温が15℃程度でワニなどが生息)。
それは500年先かもしれないし、はたまた1,000年先か。あるいはそれを人類は回避しているかもしれない(そうしなければならない)。
少なくとも僕の今後50年ほどの人生の中で、ヒトは気候変動に翻弄されることくらいは容易に想像ができる。

どれだけヒトが科学技術に信頼を寄せていても、宇宙戦艦ヤマトに出てくるような「空気清浄機」は今の技術では作れないのである。