気象を操作したいと願った人間の歴史
Fixing the Sky: The Checked History of Weather and Climate Control
ジェイムズ・ロジャー・フレミング 著
鬼澤忍 訳
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一世紀以上にわたり、科学者、軍人、ペテン師たちが、天気や気候を操作しようともくろんできた。(pp. 19)
十七世紀以降、増大する知識が「公益のための」新たなテクノロジーに結びつくというベーコン的な予想は、科学のあらゆる分野に広く当てはめられてきたが、とりわけ気象学と気候学でその傾向が強かった。(pp. 21)
スコットランドの科学者のジョセフ・ブラックが、こんにち二酸化炭素と言われているものを発見したとき、「fixed air(固定空気)」と呼んだのは、その安定した特性のためだった - 今では皮肉なことに、この複合語は環境をめぐるあらゆる議論の不安定な中心となっている。(pp. 29)
一部の人にとって、デジタル・コンピューティング、宇宙からの地球観察、大気中の化学種の極めて正確な測定が実現したこの時代に、天気や気候を支配することは、ただ観察したり、予測したりすることよりも望ましいことだ。現代ではそれが可能であり、科学技術のおかげでわれわれは、地球を動かすアルキメデスの梯子を手にしているのだと考える人もいる。(pp. 33)
昔の似非科学的なレインメーカーと同じように、こんにちの意欲あふれる気候エンジニアは、何が可能かをひどく誇張し、世界の気候を管理しようとすることの政治的・倫理的含意を - また、彼らの先輩が直面したものよりもはるかに重大な潜在的帰結を - ほとんど考慮していない。(pp. 38)
人類にとって、この世界と次の世界のあいだでとりうる最善策は、「みずからの集団的無知」を認め、謙虚さを失わず、太陽神とその親分をともに怒らせるのを避けることである。(pp. 46)
環境汚染の抑止や炭素排出の削減は、それ自体がわくわくするような目標ではないが、自分自身や世界について新たな視点で考えることは、まさにそうした目標なのだ。環境保護主義者は、地球への影響を最小限に抑えようとする点で、残す者の文化の価値観にしたがっている。ところが気候エンジニアは、気候変動の抑止という名を借りて、正真正銘の奪う者となるのである。(pp. 55 - 56)
ひょっとしたら、正確な長期予測と気象制御こそが、天気にまつわる本物の迷信と誤信なのかもしれない。(pp. 242)
気象システムに干渉する際には、どんな気象であれ重大な倫理的配慮が必要である。道徳上の落とし穴の一つは、ある場所で気象を改変しようとすると別の場所で大災害が起こる可能性があることだ。(pp. 288)
天気や気候は本質的にきわめて無秩序なシステムであり、短期間の予測はある程度可能だが、たいていは非線形の相互作用から驚くべき事態が生じるものだ。わかっていないことがあまりにも多い。(pp. 288)
歴史的に、気象と気候の制御は敵に知られることなく- そして、下っ端の戦闘員や一般市民にも知らされずに - 使える武器とされてきたことも、われわれはよく知っている。(pp. 292)
軍はときに、自然と技術の知識のたゆみない進歩をねじまげる力として働きかねない。とくに、国の安全保障という大義名分のもとに、新たな発見を秘密にし、どれほど新奇であろうと推測の域を出ないものであろうと、あらゆる新技術を武器化しようとする場合がそうだ。(pp. 295 - 296)
気象学者は、毒ガス攻撃の仕掛け方と、毒ガス攻撃を受けても生き延びる方法について助言するうちに、戦場の気候学の基礎を固めていった。(pp. 297)
気象改変を武器として使用しても、それを否定するのはたやすいし、どれほど被害が出ようと自然のせいにできるからだ。(pp. 299)
「気象改変に関心をもつ科学者にとって、ハリケーンは大気圏内で最大かつ最も手強い獲物だ。そのうえ、それらを『狩り』、手なずけなければならない差し迫った理由がある」(pp. 310)
ハリケーンに人間の手を加え、進路を変えたり嵐を弱めたりする「ストームフューリー計画」の責任者の発言。
「人間の幸福のため、公衆衛生の保護と農業生産性」の強化のため、激しい暴風雨による自然災害を減らすために発達した科学の知識と技術の力が歪曲されたあげく、戦争兵器になるとは、醜悪なまでに不道徳な事態です。」(pp. 317 - 318)
ベトナム戦争で気象兵器が使用されたことに対する米国科学アカデミー会長フィリップ・ハンドラーの書簡より。
現在の地球温暖化との戦いは、軍事的な比喩が比喩にとどまらなくなった長い歴史的過程の帰結と見るべきだ。それらの比喩は比喩どころか厳しい現実であり、科学的研究の道筋にも軍事政策にも、そして、何よりも自然に対するわれわれの姿勢にも、影響を及ぼしている。(pp. 323)
「今後、大規模な気象改変が真剣に提案されるのはおそらく避けられないだろう。その場合、大循環に関する知識とコンピューターによる数値気象学の資源をすべて注いで結果を予測し、病気よりも治療のほうが悪かったという不幸な事態に陥らないようにすべきである」(pp. 371)
気象学者ハリー・ウェクスラーが地球工学に関する論文を1958年にサイエンスに公表したときの締めの言葉。
大規模な大気現象に無理やり介入するとどんな結果を引き起こすか、前もって予測できるようになるまでは、[気候制御は]「興味深い仮定の課題」としておくに限る。これまでに提案されたそうした計画の大半は、大変な技術的偉業を必要とするし、短期間の利益を生む可能性と引き換えに、われわれの住む地球に修復不能な害や副作用を及ぼす危険をはらんでいる。(pp. 383 - 384)
ウェクスラーの気候制御に対する警告。
「人類は意図せずして、地球全体におよぶ制御不能の実験をしている。その結果の重大性をしのぐものがあるとすれば、世界的核戦争だけだろう」(pp. 386)
1988年にカナダ政府が行った国際会議の声明。
地球工学がまずい考えであることは枚挙にいとまがないが、地球工学理論の研究にいささかの投資をすれば、まずい考えかどうか科学者が判断する際に役立つかもしれない。知らされている悪影響の回避が確実にできないうちは、小規模な実施ですら論外だ。(pp. 397)
気候モデラー アラン・ロボック
気候制御は、もし複数の国家がそれを保有し、最適な気候バランスをめぐって合意できなければ、核兵器と同じく「安心材料ではなく、むしろ国際紛争の種」になりうる(pp. 415)
経済学者 トマス・シェリング
なぜ、鉄肥沃化論がこれほどの注目を集めているのだろうか?地球の気候を制御できるという考えをわれわれが楽しんでいるのではないかと勘ぐりたくなる。(pp. 426)
「地球のシステムについてのわれわれの無知はひどいものだ……世界規模の地球工学は地球温暖化に対抗できるかもしれないが、十九世紀の医学の場合と同じく、最前の治療法は優しい言葉と、自然のなすがままに任せることかもしれない」(pp. 440)
ジェイムズ・ラヴロック
科学者はたいがい、歴史、倫理、公共政策についての勉強が乏しいか欠如しているものだが、世界的気候変動は人間の問題であり、科学だけの問題ではない。(pp. 441)
われわれは化石燃料を使わずに経済の繁栄を存続させ、発展を続けられることをまだ実証していないが、長期にわたる持続可能性のためには、それを実証しなくてはいけないだろう。(pp. 449)
気象・気候制御が明暗入り混じる歴史を持つことをわれわれは知っている。傲慢さから生まれ、ペテン師と、誠実だが道を誤った科学者たちを育んできた歴史である。(pp. 454)
自然の複雑さ(と人間の性質)を前にして、十分な謙虚さと、畏怖さえ培うべきだ。複雑な社会的・経済的問題に対し、単純化しすぎた技術的解決策を提案してはいけない。単純化しすぎた社会的・経済的解決策を提案するのもいけない。検証不能な結果について功績を主張してはいけない。(pp. 455)