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2012年12月21日金曜日

気になった一文集(日本語 ver. No. 3)

邦題:CO2と温暖化の正体
原題:FIXING CLIMATE 〜WHAT PAST CLIMATE CHANGE REVEAL THE CURRENT THREAT- AND HOW TO COUNTER IT〜
ウォレス・S・ブロッカー/ロバート・クンジグ 著
内田昌男 監訳/東郷えりか 訳


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科学は一つの体系であり、考えて行動する一つの方法であり、それはまた最も幸運な日には、その喜びを味あわせてくれる世界でもある。科学は世の中を注意深く観察し、自分たちの考えを懐疑的に試し、正直に対話をすれば、物事は解明できるとする信念なのだ。1952年のその夏、ブロッカーは科学に改宗した。そうこうするうちに、彼は科学を神聖なものとして考えるようになった。(pp. 51 - 52)

「合理主義者は、目を閉じたときに最もよく考えられるが、経験主義者はいつも目を見開いていなければならない」(pp. 66)
ミランコビッチが地球軌道要素説を論じた小論文の初めの言葉。

こうして人類はいま、過去には起こりえず、将来にも再現されないだろう大規模な地球物理学の実験を行っているのだ。われわれは、何億年もかけて堆積岩の中に蓄積され、濃縮された有機炭素を、わずか数世紀のうちに大気と海洋に戻しているのだ。この実験は、適切に記録されれば、気象と気候を決定するプロセスについて、広範囲にわたる知見を生み出すかもしれない。(pp. 114)
RevelleとSuessの先見の明。有名な文言。

それはよいものだったのだ。実験は、世界の仕組みを科学者が理解するためのものだ。そして1950年当時、彼らすべてを駆り立てていたものは、雑念よりは好奇心だった。(pp. 114)
人間活動の結果環境にばらまかれた様々な物質(放射性物質、環境汚染物質、自然には決して存在しない物質など)が自然環境の理解に役立っている。

一人の人間でも、それが寡黙な科学者であっても、世の中に影響をおよぼすことはできる。(pp. 124)

「海はわれわれが当てにできる最大の自然の吸収源だ」とラルフ・キーリングは語る。「しかし、この吸収源はこの問題に影響を及ぼす程度の役割をはたしているに過ぎない。その影響はかなりあるが、海洋がわれわれを救ってくれることはない」(pp. 139)

つまるところ、陸地も海洋と同様、化石燃料を使用する習慣がもたらす影響から、人類を救ってくれはしないのだ。(pp. 147)
化石燃料を起源とする二酸化炭素は海をはじめとする自然の様々な吸収源(sink)に吸収されているが、それにもいずれ限界が訪れる。

だが、宇宙時代と、過去数十年間の環境研究からわれわれが学んだことは、自然が均衡を保っているのは、われわれにはあまり関係のない長期の時間の尺度においてのみであり、そのころには人類もわれわれの文明も消滅しているということなのだ。(pp. 151)

過去の気候が年月のなかでどう変動し、空間のなかでどのようなパターンを描いたかを追跡する作業は、その根底にあるメカニズムを理解する最良の方法なのだ。(pp. 172)
古気候・古海洋学の意義。

科学はそれにかかわる人びとのあいだの会話であり、考え方とそれがひどく不完全なかたちで表わす現実の世界とのあいだの、尽きることのない会話なのだ。(pp. 186)
ブロッカーの科学者としてのスタイルについて。彼はメールや手紙が嫌いで、電話や会話を好むらしい。

だが、科学ではそれは当たり前なのだ。重要なことは、自分自身の理論を盲信しないことであり、それにあまり執着しないことだ。だが、自分の大切なものを濁流に捨ててしまわないことも重要だ。(pp. 189 - 190)

われわれの考えでは、地球温暖化に対して行動を起こすうえで最も有益な主張は、温暖化に何よりも明らかに直結していて、[放置すれば]経済的に莫大なツケをこうむり、他の方法では容易に防ぎようのない影響にかかわるものだ。(pp. 202)

大気中のCO2濃度が二倍になっただけでも、重大な惨事—西南極の退氷によって海水準が急速に五メートル上昇する事態—が間近に迫るか、進行中になるかもしれないと、私は強く主張する。CO2のこの濃度は、化石燃料が近年の加速度的な割合で消費されつづければ、五十年もしないうちに達するだろう。(pp. 216)
オハイオ州立大学のジョン・マーサーが1980年にNature誌に論文を出した時の文言。

非常に恐ろしいのは、いまでは人為的な地球温暖化がそのプロセスをある種の最終的な限界にまで押しやっているかもしれないということだ。つまり、西南極氷床が崩壊の瀬戸際にあるということだ。(pp. 230)
西南極の棚氷は他の氷床に比べて大規模に・急速に崩壊する可能性が広く指摘されている。

太陽やミランコビッチ周期によってほんの一押しされるだけで、地球の気候が過去に、大干ばつをはじめとする極端で唐突な気候を起こしうることをわれわれは学んだ。気候を大きく押しやるようなことは避けたほうが賢明と思われる。(pp. 266)
'abrupt climate change(急激な気候変動)'が近年になって学会でも広く認識され、完新世の気候すら穏やかではなかったことが次第に明らかになってきている。

欧米諸国がどうなろうと、世界のエネルギー消費は今世紀中は急激に増加するのであって、減ることはないのである。そしてそのエネルギーの多くは、おそらく化石燃料から、それもとくに石炭から得られつづけるだろう。石炭は安く、簡単に手に入り、驚くほど手軽に利用できるのだ。(pp. 272)

明らかに、先進工業国が三十年間で自分たちの炭素排出量をゼロに減らすことはない。多くの国は、京都議定書に定められたはるかに容易な義務をはたすつもりすらない。(pp. 274)
温暖化問題が認識された今になっても未だに人類は加速度的に大気中のCO2濃度を増加させており、既に過去数百万年間に地球が経験したことのないレベルへと達している。

CO2問題を解決するために、無償で手に入るものなどない。あるのは過去二世紀にわたって、環境へのツケを考慮せずに大気中にますます多くのCO2を投棄することで、われわれが楽しんできた’ただ’飯という幻想ばかりだ。(pp. 320)

実際、CO2が560 ppm になったときの気候は、われわれにとって好ましくない可能性も充分にある。それは将来の世代に残したくない気候ではないかもしれない。われわれは化石燃料を燃やすことで混乱させた状態を、ただ安定化させるだけでなく、収拾をつけたいと思うかもしれないのだ。(pp. 321)
だからこそ、地球工学という最終手段に踏み出す可能性がある。

いま何が危機に瀕しているのか認識することだ。人類の未来にとって最大の難題は、世界の人口を貧困から救い出すのに必要なエネルギーを、人間にとっても、地球に棲息する他の生物にとっても堪えがたいほどの代償を地球におよぼさずに、供給することなのだ。その難題にたいする答えは、政治的なものもあれば、科学技術的なものもあるが、可能な技術ですぐに利用できるものはない。(pp. 328)

道徳上、反省すべき点があるとすれば、それはわれわれが化石燃料を燃やすことでなしとげた成果にあるのではない。むしろ、その成果にたいする責任を取っていない点にある。(pp. 330)

気候がダイヤル一つをいじるだけでコントロールできるようになると考えるのも、おそらく正気の沙汰ではない。(pp. 331)
地球工学で人はどこまで気候を人類の繁栄に(より発展した民族の文化の維持に)都合の良いほうへ調整したいと考えるだろうか。