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2013年4月1日月曜日

「科学嫌いが日本を滅ぼす〜ネイチャー・サイエンスに何を学ぶか」(竹内薫、2011年)


科学嫌いが日本を滅ぼす〜「ネイチャー」「サイエンス」に何を学ぶか
竹内薫
新潮選書 2011年12月

サイエンスライターである竹内薫 氏の著書。
適度に短く、軽く読める本なので、学生や科学に多少なりとも関心のある人にオススメ。



「薫」「ネイチャー」「サイエンス」という言葉が目にはいり、たまたま手に取ってみた本。

竹内薫さんの名前は多分何度も目にしたことがあるけれど、著書自体は初めて読んだ。

作者の経歴だけでも非常に衝撃的な内容だが、サイエンスライターという巨大アンテナを持っている人だけあって、ふだん見聞きすることの少ない「科学雑誌の裏側」みたいなものを垣間みることができる。

友人に一人くらいサイエンスライターになった人いないかな。研究者以上にいろんなことを知ってそうだ。

「科学」に対する考え方って研究者ごとにも違っていて、よく飲み会の席で話題に上がる。僕自身、とても好きな話題。

本の後半は前半とは打って変わって原発やエネルギー政策の問題にまで言及されていて、これまた興味深い内容。
自分自身の考えと非常に近く、共感を覚えた。

以下はピックアップした文とちょっとしたコメント。

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ネイチャーとサイエンスは、科学界にそそり立つ専門雑誌の両雄だ。(中略)論文を載せたい科学者の14人に1人しか載せてもらえないのだから、両誌とも科学者からは羨望のまなざしで見られている。(pp. 13)
※地質学に話を限ると、個人的にはネイチャーが圧倒的に上だと感じています。もちろん、他にもGeologyやPNAS、Natureの姉妹紙など、内容や手法に応じて最適な雑誌があります。

To the solid ground
Of Nature trusts the mind which builds for aye.
永遠に続く真の詩は
自然を礎にしなくてはならぬ
(pp. 18)
※自然派の詩人ワーズワースの「ソネット34番」の一部
ネイチャー創刊号の巻頭に載った詩

ネイチャーは民間の出版社が発行しているのに対して、サイエンスは全米科学振興協会(AAAS)という学術団体が発行している。(中略)ネイチャーは販売収入で、サイエンスは寄付(年会費)でまかなわれていると言っていいだろう。(pp. 24)

新興国アメリカのサイエンスは、紳士の国イギリスのネイチャーと違って、山あり谷ありの苦難の船出だったのである。(pp. 26)

晴れてネイチャーやサイエンスの誌面を飾った科学者たちには前途洋々たる未来が広がるが、論文が却下された科学者たちは、悲しみと敗北感にうちひしがれることになるのだ。(pp. 35)

もはやこの2誌(ネイチャーとサイエンス)に論文が掲載されるかどうかが、科学界における立身出世の分かれ目になってしまった観もある。特に巨額の費用が必要になる分野では、権威ある科学雑誌に自らの業績を喧伝することが予算獲得において死活的に重要になってくる。(pp. 37)

ピアレビュー制度にも、いろいろな問題は存在する。もともと科学者の「善意」を前提としているため、査読者は完全なボランティアなのだ。(pp. 38)

科学という営みに公平な基準を持ち込み、科学を進展させるためにピアレビューは進化した。だが、しょせんは人間がつくった制度である。過信は禁物だし、例外を認めることも忘れてはならない。(中略)とにかく、この世の人間関係はすべて力学である。論文掲載をめぐるパワーゲームは、実力派の科学者、ネイチャーとサイエンス、そして他の科学専門誌も交えて、日々、進行中なのだ。(pp. 39)

日本の高校では、「生高物低」もしくは「化高地低」という科学教育の歪みが生じていることをご存知だろうか。生物や化学ばかりに人気が集中し、物理や地学を履修する生徒がどんどん減っている現象である。(pp. 56)

雑誌の後半に掲載される専門論文より、むしろ雑誌の前半部分を占めるクリティカル(批判的)な主張やニュースにこそ、ネイチャーの本領がある。科学は科学だけで終結しない。(pp. 61)

情報過多で時間不足の現代日本において、科学の最先端のダイジェストを日本語で気楽に読めるのは、大いなるメリットだと言える。(pp. 68)
※ネイチャー・ダイジェストのことを指すのですが、意外とお手頃価格で手に入ります。やはり日本人にとっては日本語で頭に入ってくる情報のほうが圧倒的に量・質ともに多いので、単なる翻訳でもすごく重要だと思うのです。

科学技術立国・日本における、科学の人気のなさ、科学振興のお粗末さは、大いなるパラドックスといわねばなるまい。(pp. 76)

あくまで私見だが、イギリスの科学には寛容さと余裕があり、アメリカの科学には強い合理性がある。イギリスの科学は柔らかく、アメリカの科学は堅い。普遍的な価値をもつはずの科学にも、お国柄がある。(pp. 129)
※地質学の発祥は古く、ヨーロッパで生まれたものです。また懐の大きさという意味においても、僕は英語圏に留学するとしたらイギリスに行きたいと考えています。

日本のお家芸を政府が潰してはならない。今こそ、短絡的な科学技術の仕分けを見直し、科学者・技術者のやる気を喚起し、明るい日本の未来を創造してもらいたいものだ。(pp. 144)

人や組織が世界に通用する仕事をするために必要なのは、第一に使っている言語での「流暢さ」だと私は思う。言語を自由に使いこなせていないと、アイデアは枯渇し、コミュニケーションもうまくいかず、多大なストレスが生じ、大きな成果が生まれることはない。(pp. 155)
※理想としては英語で考え、英語で意思疎通が正確に図れること。日本語、英語ともに大切にしなければならないと思ってはいるものの、僕自身英語コミュニケーションには常々ストレスを感じています。

英語が堪能でない日本人社員同士が、拙い英語でしゃべり合っていては、その英語力に見合った想像力しか発揮できないのは、火を見るより明らかだ。(pp. 156)
※実際日本語で思考したほうが、より高度な思考になっている…気がする。

もしかしたら、今の日本で科学に人気がない理由は、あまりにも周囲の評価を気にしすぎて、科学の原点である、素朴な疑問の追求やワクワクドキドキ感をどこかに置き忘れてきてしまったからかもしれない。(pp. 169)
日々、科学雑誌を閲覧するときはワクワク・ドキドキ感がありますが、自分の研究となるとちょっと違う側面もありますよね。「あぁ早く論文出さなきゃ…」とか、「ちくしょうこのアイディアは既にこのグループがやってたのか!」とかw

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第11章 原発事故と科学誌
※原発というセンセーショナルな部分に対する発言ですが、敢えてピックアップさせてもらったものです。総じて僕も似た考えを抱いています。

物理学の常識からすると、火力発電や原子力発電は「濃い」エネルギーであり、太陽光発電や風速発電は「薄い」エネルギーなのだ。原子力発電が金の鉱脈であるとするならば、太陽光発電は川で砂金をすくうような作業だといえるだろう。これから20年以上の歳月をかけて、その薄いエネルギーで日本を動かせるようにするには、いくつもの技術革新が必要なのだ。(pp. 176)

世界の科学雑誌は、事態を冷静に見守っている。原発事故の原因を「未曾有の大自然災害」、「50年前の技術水準の原子炉」とし、数十年かけて再生可能エネルギーをスケールアップさせるまでは、原子力発電を使い続けるべきだと、ほぼ一貫した主張になっている。(pp. 179)
※世論に対して過敏に反応してか、マスコミはエネルギー政策の話題を嫌い、逆に原発の負の側面ばかりを取り上げる傾向がありますが、冷静に福島第一原発事故・日本のエネルギー政策・気候変動緩和政策に関する情報を収集し、考える必要があるかと思います。

原発はこの国で常にタブーであり続けてきた。そして、国民は、その原発で作られた電気を自由に使い続けてきた。(中略)安定した電力がなければ、国の経済は破綻する。そんな簡単なことも、誰も考えようとせず、ひたすら原発をタブー視してきたのである。(pp. 183)

原発利権のために真実が「隠蔽」されているという噂を鵜呑みにする前に、国民ひとりひとりが、日本のエネルギー問題について真剣に考え、自分が使うエネルギーがどうあって欲しいか、意思表明をすべき時期にきている。だが、その意見は、科学的根拠に則った、現実的なものでなくてはならない。(pp. 184)

最近、特殊な藻類(たとえば「榎本藻」)の光合成で、品質のいい重油が生産されるニュースに注目が集まっているが、日本の進むべき方向は、こういったバイオテクノロジーを駆使した「石油産出国」かもしれない。(pp. 184)
※僕自身は日本産の「メタンハイドレート」・「シェールガス」・「洋上風力発電」・「太陽光発電」よりも、むしろ藻類に代表されるバイオ燃料に期待を寄せています。

近い将来、人類を襲うと予想される水不足や食糧不足への対処も、新たな科学技術こそが頼りだ。科学の負の側面ばかり見て、感情的に科学技術を「捨てる」ことがあってはならない。反省すべきは反省し、科学の正負両面を冷静に分析し、次の一手を考えることが、われわれの子孫、そして地球上の生命全体に対して、日本が果たすべき責務なのだ。(pp. 186)