地球持続の技術
小宮山 宏 著
岩波新書 (1999年12月)¥740-
著者は東大元総長の小宮山 宏 氏。温暖化問題の著書が多いことでも知られる。
もともとは工学部の出身で、エネルギー工学などを専門に研究をされている。
僕が学部生の時に総長だった方だが、かなりのカリスマ性を持っている方だと思う。
タイトルだけ読むと、「地球持続」ということで、生物多様性や環境問題、エネルギー問題を扱った本のように思うかもしれないが、実際には科学技術によってエネルギー消費をどれだけ最適化でき、そして可能な限り消費を抑えることでよりどれほど長期間にわたって限られた資源を使い続けることができるか、に関する本である。
これまで’エネルギー’という観点で世界を見つめたことがほとんどなかったので、目からウロコな知識を多く学ばせてもらった。
2例ほど挙げてみる。
エネルギーという観点から考えると、自動車も自転車も’理想的には’エネルギーを消費しない。というのも、ある地点から同じ高度のある地点に行く場合、力学的エネルギーは常に保存されるためである。一度動けば二度と止まることはない。
ただし、現実世界には車軸部-タイヤ-地面間の摩擦、排熱、空気抵抗などによってエネルギーが消費され、究極的にはそれらの熱は宇宙空間に放射される(!)。
また電気自動車もまたブレーキによって発電機を動かすことで電気を100%回収できれば、最初の充電だけであとは永遠に走り続けることができる。この点こそが、化石燃料自動車よりも電気自動車に比べて勝る最大の利点である。電気と磁力で走るモーターというのは、その可逆性のために、非常に優れた動力なのである。もちろん電気自動車にはCO2を排出しないという利点もあるが、それに用いる電力を火力発電などから賄っていれば結局キャンセルしてしまうことに注意する必要がある。
ただし、(多少くどいが)実際にはやはりエネルギーが周囲へと散逸するため、永久機関にはなり得ない。
上の2例を掘り下げてみると、どちらも技術刷新によってエネルギー効率を限りなく100%に高められることに帰結する。
それこそが本書が扱う領域であり、他にも鉄やアルミ、プラスチックなどの素材をどのようにすれば省エネでき、また理論的にはどこまで・どれほどの時間をかけて省エネを達成できるのか、などを紹介している。
本書が書かれたのは1999年と古いが、その後何度も印刷され、ロングセラーとなっている。
出てくる数字類は大幅に刷新していい気がするが、基本的なエネルギーの概念を知る上で、非常にタメになる本だと思う。
僕自身は”科学技術礼讃”という立場は好きではないし、本書で挙げられているような未来の青写真はたいして現実味のないものだと思っている。
地球環境問題という観点でいえば、これからの世界をリードするのは豊かな科学技術に支えられた工業国というよりは、むしろ途上国であるためである。
ただし、科学技術によってかなりの部分問題を解決できるのは事実で、それはうまく先進国から途上国・貧困国へと輸出する必要があるものである。
青写真は誰かが描く必要がある。それは科学技術立国、日本であるべきかもしれない。
本書に関連した記事・論文の特集がNature(2012年8月16日号)に組まれているので、参考にしていただきたい。
INSIGHT: CHEMISTRY AND ENERGY
「化学とエネルギー」特集
知らなかったことがあまりに多かったため、それらをすべて挙げるには枚挙にいとまがないが、その中でも特に気になったものを下に列挙しておく。
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第1章 地球は持続できるか
人工物はやがて廃棄されるが、その大部分は再び鉄製品となる。一部はゴミ廃棄場に捨てられ、長い間にはさびてしまうから、この部分はブラジルから日本のゴミ廃棄場に酸化鉄が運ばれたということになる。(pp. 21)
人間による生産活動を地球的な視点から眺めてみると、大量生産・大量消費とひとくちにいっても、その内容はさまざまであることがわかる。伐採後に植林を行う再生型の林業もおこなわれている。寿命がつきた鉄やアルミニウム製品の多くは、スクラップとして回収され再利用されている。ビルを解体して生じた廃コンクリートの多くは、道路の舗装などに利用されている。こうした場合は、一方的に資源を消費しているというわけではない。(pp. 27)
物質の生産には石油が消費される。1トンの物質をつくるのに、プラスチックなら1トン、鉄600キロ、紙300キロ、ガラス200キロ、セメント100キロというように、大量に消費している。このまま推移すれば、現在のエネルギー資源の主役である石油の枯渇が現実化するであろう。(pp. 28)
第2章 エネルギーを知る
火力発電に用いた熱の60%近くが海に捨てられているのである。(pp. 44)
※原理上、復水器で無駄が生じてしまう。
われわれが知っているエネルギー資源エネルギー資源には、化石資源、原子力、太陽、地熱、それに潮の満干があるのみである。現在の使用量は、化石資源が、石油、石炭、天然ガスをあわせ80%近くを占め、太陽がバイオマスと水力で18%、原子力は約5%、バイオマスと水力以外の太陽エネルギー、地熱、風力などはあわせても1%に満たない。(pp. 46-47)
※ここでエネルギー資源とは「それ以外からはエネルギーを手に入れるすべはないエネルギーのもと」を指す。水素や電気はその範疇に含まれない。
天然ガスのように水素を多く含んでおり、炭素あたりの発熱量が大きいものと、ほとんど炭素だけである石炭とを同列に扱えないという欠点をもつ。一方、地球の温暖化はCO2によって起こるから、化石資源を炭素換算で表すとその影響を直接表現できる。(pp. 50)
※炭素換算表記について。
飛行機や船、それにタクシーやバス、電車、鉄道など、すべてあわせても15%にしかならない。つまり、輸送は自動車とトラックだと言ってしまっても、大きな誤差は生じないのである。(pp. 51)
※貨物輸送にかかるエネルギー消費の内訳。
エネルギー消費が世界の5%に過ぎない日本で、70%以上の排ガス処理プラントが稼働しているのだから、実質的に脱硫、脱硝をおこなっているのは日本だけといっても過言ではないくらいだ。(pp. 54)
※CO2以外の排出という点では、日本は’クリーン’な火力発電をしている。
水力発電は効率が高い方の例で、ダムの水の位置のエネルギーの約85%を電気に変換する。したがって、残り15%が熱になる。一方、白熱電球などは光に変換される割合は2%程度で、98%は熱に変わってしまう。(pp. 57)
※まさに目からウロコ。
消費する資源の量は、やり方によって著しく異なるのである。消費する資源量を減らすためにエネルギー効率を高くする方法は、つぎの3つに整理できる。①ヒートポンプのように、低温の熱に変化することで劣化するエネルギーを減らすこと、②テレビや照明を使って暖房するように、低温熱となってしまうまでにできるだけ多くのことをさせること、③断熱ハウスのように、必要なエネルギーそのものを減らすこと、である。これらによって化石資源の節約を図るのが、技術による省エネルギーなのである。(pp. 63)
第5章 「ものづくり」とリサイクル
古紙をそのライフサイクルの最後に燃やすのがいけないのではない。パルプ用に木材を伐採したあとで植林すべきなのであり、紙1トンつくるのに燃やしている300キロの化石資源の量を減らすべきなのだ。さらにいえば、本書では議論しないが、こんなに紙が必要なのだろうかという消費量の問題なのである。(pp. 127)
第6章 自然エネルギーの導入
密度が薄いことと、時間変動が激しいことの2点が、エネルギー資源としてみたときの太陽光の欠点である。(pp. 138)
※風力も似たような感じ?
自然エネルギーは実質的に無限といえる量が存在し、質も高い。だが、密度の薄さ、時間的な不安定さ、信頼できる技術の未開発といった欠点がある。そうした欠点を克服し、大規模に導入しうる技術の候補として考えられているものは、太陽電池、太陽光発電、バイオマス、深層地熱であろう。(pp. 151)
>関連した記事(Science#6135 "Perspectives")
More Power from Below
下からより多くの力を
Joseph N. Moore and Stuart F. Simmons
地熱発電量は世界中で増加しつつあるが、多くの課題が残されている。
第7章 地球を持続させるために
石炭は300年分の埋蔵量があり、まだまだ余裕があるといわれる。だが、石炭は、石油よりも少ない現在の消費量で測って300年分あるのであり、かりに石炭が石油を代替することになれば、寿命は当然短くなる。(pp. 157)
天然ガスは、エネルギーあたりのCO2の発生量は石油の3分の2ほどであるから、温暖化の防止にも好都合である。しかし、資源量そのものも石油の3分の2しかなく、現在すでに石油の半分を超える速度で消費しているのであるから、天然ガスで石油の枯渇の問題を解決できるとは考えられない。(pp. 157)
途上国の人々に、現在の生活水準を維持し、エネルギーを大量に消費する近代文明に毒されるべきではないなどと主張する権利は、何人をもっていないし、豊かな生活を営む側に、貧しい側の成長を制限する論理的な説得力はないであろう。(pp. 159)
現在、われわれがつくりあげた大量消費型の構造には多くの人が居心地の悪さを感じているであろう。夏に、オフィスの冷房をこんなにきかす必要があるのだろうか。スーパーでゴミ袋を何枚ももらって、それをゴミとして捨てるのがまっとうなのだろうか。(pp. 159-160)
※他にも、過度な包装(野菜・果物一つ一つを包装する必要がある?)や、エアコンの熱を逃がしてしまう建物の構造(中でエアコンをがんがんに効かせておいて入り口は全開)、24時間煌煌と輝き続けるコンビニと自販機の照明、遠隔地からわざわざ食料・水を輸入すること(南米やアフリカといった地球の反対側からものを運ぶのにどれだけCO2が排出される?)、安直な自動車の使用など。考えればいくらでも出てきそう。
途上国を中心に現在の使用量の3倍を超えるエネルギー消費の増大が起こる可能性があるという状況では、節約だけで持続が図りうると期待するのは現実的ではない。よって、「ものづくり」と「日々のくらし」の両方で、エネルギー消費の効率を技術的に高める道を探ることが要求されるのである。(pp. 160)
自然エネルギーに対する期待は大きい。しかし、水力発電と途上国での薪の利用とをのぞくと、自然エネルギーの全エネルギーに対する寄与率は1%にはるかに足りない。それは希薄で時間変動の激しいエネルギー資源から、電気やガソリンやガスといった密度が高くていつでも利用できる便利なエネルギーに大規模に変換するシステムが難しいからである。(pp. 160)
第8章 技術は社会とどう向き合うか
分別されずに排出されたゴミはエネルギー資源とは呼べないのである。(pp. 185)
持続社会の物質の流れのなかで、生ゴミの取扱いは1つの課題である。再生される製品の汚染源となる可能性、食塩の塩素が燃焼の際にダイオキシンなどの有害塩素化合物を生じる可能性、水分が燃焼の効率を低下させる可能性など、物質循環の阻害要因となりかねない。(pp. 189)
このように物質循環型社会というのは、大量生産大量廃棄型社会と比較して、はるかに巨大な複雑系である。スローガンとして掲げるだけで実現するといったものではない。すぐれたビジョンと、強力なリーダーシップと、社会のさまざまな構成員が結集できる状況をつくることが必須条件であろう。(pp. 199)
日本の建物の屋根すべてに太陽電池を設置したとすると、現在の発電量の20%、全エネルギーの6%程度をまかなえる。これを実現するために、かりに太陽電池の年間生産力を現在の100倍としたとしても、6%分の電池を生産するまでには140年かかることになる。しかも、現在、原料のシリコンが不足しているために、増産できるような環境にはない。(pp. 200)
ゴミ焼却の際に塩素が入らなければダイオキシンは発生しない。(中略)塩ビを止めてもダイオキシンは発生する。もう一つの塩素源である塩化ナトリウム、つまり、食塩かがゴミには含まれているからである。したがって、焼却炉からは生ゴミも除かなければならない。(pp. 205)
知識の専門化ゆえに、同じ技術の話でも、一人の技術者が理解できる範囲はきわめて狭いものになってしまっている。けっして知識を処理する個人の容量が減じたわけではない。知識の量が莫大に増えた結果、「領域の細分化」が進んだのである。(pp. 208)
あとがき
基本の理解を妨げている原因には、自分の仕事をなるたけむずかしく見せたいという専門家の意識があるのではないか。(中略)確かに易しいといわれるとうれしくはないかもしれないが、理解されない話をしていったいどういう意味があるのだろう。(pp. 212)