邦題:10万年の未来地球史
原題:Deep Future ~ The next 100,000 Years of Life on Earth
カート・スティージャ(Curt Stager)
日経BP社(2012年)¥2,200-
僕の地球観はおおよそ一般の人とは異なっているものだと思う。
本書の著者であるカート・スティージャの視点もまた、一般の人には到底理解しにくいものであろう。
本書は、〜万年あるいはそれ以上といった、時間感覚・長期的な視野を持った地質学者(古生態学者)が綴る、近年の気候変化にまつわる物語である。
人類が排出する二酸化炭素が招いている「人為起源の気候変化(anthropogenic climate change)」を語るのは必ずしも現在の気象観測に精通した研究者だけではない。
過去の気候を研究する古気候学者もまた、地球の歴史を紐解くだけにとどまらず、現在の気候変化の進行に目を光らせている。
本書はDavid Archerの地球システムモデルを用いた将来の気候と炭素循環の予測結果に触発されて書かれた本ということもあって、D. Archerの予測結果が随所に登場するが、その特徴は何と言っても、
現在の温暖化が未来のどこかでピークを迎えたあとの世界
を垣間みることにあろう。
現在、化石燃料の利用が気候問題の諸悪の根源として扱われているが、それも再生不可能な資源にすぎない。やがては枯渇する。或いは、多くの研究者の警告に人類が真摯に耳を傾け、やがては二酸化炭素を排出し続ける状態から脱却することになろう(ならなければならない)。
いま排出された二酸化炭素がどの程度大気に残留し、それによってもたらされる地球温暖化はどの程度持続するものなのか?
それは数千年から数万年という時間スケールであり、その時間を決定するカギは、自然のシステム如何というよりは、むしろ人類が今後どれほどの量・どれほどの速度で二酸化炭素を排出するかにかかっている。
また、二酸化炭素は海水に溶けることで徐々に大気から取り除かれているが、その結果として海洋の酸性化を招いている。海洋酸性化もまた持続期間が長く、もとの状態に戻るには数万年という時間を要する。
こういった視点が、地質学者・気候モデラーといった数万年といった時間スケールを扱う研究者が浮世離れした発想をしているように見られる原因とも思われる。
というのも、多くの人にとっての関心事は、明日の天気や数年後の自分の仕事、子供が大人になったときの生活といった、せいぜい100年にも満たない極めて”最近の”未来のことだからである。
しかし、視野をうんと長期化してみると、興味深い疑問が浮かんでくる。
それは例えば以下のような疑問である。
いま二酸化炭素を燃やした結果としての温暖化が問題視されているが、次の氷期は人類のせいでスキップされる可能性が高い。いずれにせよ、やがて地球本来の氷期-間氷期サイクルが戻ってくるだろう。そのとき(数十万年後)、人類は迫り来る氷河の恐怖に対抗するために、大事に取っておいた石炭を燃やすことで二酸化炭素の温室効果という手段を用いて気候を安定化しようとするのではないだろうか?
北極海の海氷が開けることですでに領土・資源を巡る国際競争が始まっているが、やがて温暖化のピークを迎えたあとに再び海氷が戻ってくる数千〜万年後の未来、人類は良質な漁場と航路を失い、過去の温暖だった’良き時代’を懐かしむのだろうか?
温暖化により海水準がひとしきり上昇した数万年後の未来(予測は数mから数10mまでさまざまであるが)、今度は海水準の下降が始まる。そのとき、かつて海に追われて沿岸から引き返した人は、今度は海を追うように沿岸への移住計画を考案するのだろうか?
そもそも人類はあとどれほど地表を支配するのだろうか?第X次世界大戦によって疲弊していて気候の安定化どころではない?すでに他の惑星に移住している?或いは絶滅している?
本書が紹介するのは、決して地球の、人類の未来に関する空想だけはない。過去と現在の地球において実際に起きた、観測された事実もまた幅広い文献とともに紹介されている(だからこそ気候学の研究に関わるひとにこそ、本書をオススメしたい)。
筆者はサイエンス・ライターとしても活動しており、ラジオの科学番組にも出演している。そのせいか、実に巧みな比喩とユーモラスな表現を交えながら、地球の過去・現在・未来の姿が、深い洞察とともに語られている。
時間尺度が数年から数万年に飛んだり、話している場所が熱帯から極域に飛んだりと、地球を駆け巡るような内容で目が回るかもしれないが、温暖化問題を考える際の、興味深い視点と疑問を提供してくれるに違いない。
以下は気になった文言。
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未来の温暖化を予測する上で、古生態学者ができる最大の貢献は、時間の概念を提供することだ。(pp. 4)
地球科学者たちは、私たちが普段、季節を話題にするように、地質年代や地質世を話題にしていて、100万だとか10億だとかの数字によく通じている(扱う数字の大きさだけ見れば大富豪と変わらない)。(pp. 5)
今日、光合成の廃棄物である酸素は私たちの肺の空気の5分の1を汚染しているが、あの最初に汚染を引き起こした生き物の子孫でもある私たちは、これなしでは生きていけない。(pp. 9)
生命にとって、酸素ははじめ毒であった。
自らが作り出した炭素危機の只中で、賢明な選択を求めて取り組むときに必要なのは、いまの私たちの行動が長期にわたって未来の世界にどのような影響を及ぼしうるかということについて、可能な限り多くを理解することである。(pp. 48)
気候変動が差し迫っているにもかかわらず、行動を起こさないという選択はありえない、とはよく言われることではある。しかし、誤った行動の選択も危険である。(pp. 327)
地球工学や、行き過ぎた環境保全活動もまた、冷静な判断が必要。
気候変動を具体的、個別的非常に正確に予測−最新の精密きわまりないモデルを使っても不可能だと科学者の多くは考えているが−しようと試みるよりは、専門家たちのなかには、将来への備えとしていくつもある可能な未来の姿を予想して、そんなさまざまな未来に広く適応できる能力を高める戦略を選ぶ人たちが次第に増えている。(pp. 328)
私たちが存在することで人工的な変化を起こしてはいるものの、私たちは人類世を愛しているのだ。おそらく、このあとに続く未来も人為的に変貌した姿となるが、どんな形であろうと、そこに生きることになる人々はやはりそれを愛するだろう。(pp. 379)
変化を恐れすぎてもいけないのかもしれない。