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☆主なコンテンツ
1、新着論文 2、論文概説 3、コラム 4、本のレビュー 5、雑記(PC・研究関連)
6、気になった一文集(日本語English) 7、日記(日本語English) おまけTwilog

2019年12月16日月曜日

2019年振り返り

年の瀬。毎年恒例となっている一年の振り返りをば。
今年は海外出張が4回と、第一子の誕生で公私ともに非常に慌ただしかった。
実験もかなりやったけど、学振のメインテーマの実験をすべて終えるにはもう少し。次年度が始まるまでにやり終えたいけど、次の引っ越しの準備もあり、果たして…?
東大AORIでやったELEMENT-XRを使った有孔虫Mg/Ca分析の立ち上げは無事終了。ひょんなことからLA-ICPMSでの貫通実験もやることに。

1月
年末年始全てを実験に費やす
後半は関東で研究打ち合わせ

2月
大槌の調査
ブルーアース サイエンステックでのIODPの成果の口頭発表。平理事長は直前に姿を消す…

3月
高知コアセンターの成果報告会でポスター発表。
プライベートの旅行で対馬の銭本さんのところへ。釣り三昧。巨大アオリイカや寒ブリを手にし、実家で刺身を振る舞う。
コアスクールのコア解析基礎コースでチューターを務める
直後にドイツ・マインツ大学に出張。2週間過ごし、ArstanとCofechaソフトウェアに習熟。ビノスガイ論文の素案を書き上げる。500mLで1ユーロのビールに、白ワイン(リースリング)を飲みまくる日々。
東北大学で開催されたコアスクール(炭酸塩記載)に参加。最年長。同郷の井龍先生に基礎を習う。

4月
初となるEGU参加。有孔虫d11Bのポスター発表。アイスコア業界の重鎮Blunier博士に見にきていただき、励ましの言葉をいただく。
秋田大学のM2の学生さんと一緒に、東大AORIでの有孔虫Mg/Ca測定の立ち上げをスタートさせる。まずは実験器具を取り揃え、ブランクが低いものの選定から。

5月
話題になったGW10連休の全てを実験に費やす。準備した試料をひたすら測定。
後半はJpGUでの招待講演。GEOFUTはAORIチームで参加し、リーグ戦で散る。
前後にAORIで有孔虫Mg/Ca測定のための基礎実験。

6月
d11Bの実験。
クロアチア・スプリットで開催されたSchlerochronologyの学会で口頭発表。
直後にドイツのAWIに移動。機械が壊れたとの報告を受ける。

7月
機械が復調せず、やることがなくなってしまい、その隙にビノスガイ論文を仕上げる。d11B論文のリバイズも。
ビールに、白ワインを飲みまくる日々(再)。帰国直後の健康診断で中性脂肪の値が高く、自戒。

8月
第一子の誕生の一ヶ月前ということで、妻と一緒に出産準備。
ちょうどアパートの更新もあり、産後は妻の実家にお世話になることに。
引っ越し関係の手続きや家具類の売却に多くの時間を費やす。
合間にAORIで有孔虫Mg/Ca測定のための基礎実験。

9月
第一子の誕生!!前日夜7時に産気づき、朝8時に無事出産。
地化学会で奨励賞の受賞記念公演。二次会では、同じ賞を受賞した尾崎さん、横山研メンバー、JAMSTEC高知メンバーに祝っていただく(胴上げもw)。
東京のアパートを引き払い、妻の実家へ引っ越し。

10月
産後のいろいろな手続き。
家事の傍ら、科研費の申請書類を3つ仕上げる(うち1申請は重複制限でおじゃんに…)
白鳳丸航海の打ち合わせと見送りのため、JAMSTEC本部へ。

11月
AORIで有孔虫LA-ICPMSによるMg/Ca分析。
バイオミネラリゼーションシンポジウムで口頭発表。
山本先生の科研費基盤Sのキックオフミーティングで「d11Bを用いた過去のCO2復元」の話題提供。
日経新聞の取材と、初となる顔写真付きの新聞掲載(11/29朝刊)。内容は先日公開された、日本初となる有孔虫d11Bの測定結果の報告(西赤道太平洋の海底堆積物コアを使用)。

12月
AORIで有孔虫LA-ICPMSによる最後のMg/Ca分析。あと一歩のところで機械が故障。
「白鳳丸就航30周年記念世界一周航海」のレグ4に向けてチリへ旅立つ(←今ココ)

2019年12月14日土曜日

研究と育児(3)

そうこうしているうちに白鳳丸の航海に発つ日までの日数があと僅かになってきた。航海で一ヶ月家を空けると言う負い目もあり、産前1ヶ月、産後3ヶ月にわたり妻に寄り添い第一子の誕生を迎えた。ちょうど今、世間で男性も育児休暇を、という風潮がある中、学振PDは非常によい機会であった。制度上育休を取得し研究中断することもできたのだが、それには利点欠点ある。

・利点
育休で休んだ分、学振の期間を延長できる
狭き門だが、RPDへの申請資格が得られる

・欠点
育休中の給与はゼロ(なんと!)。雇用保険ないから。
学振の期間を延長できるが、次のポジションが決まっていれば関係ない(育休中の給与を貰い損ねる)

学振PDで育休申請するかは、各々の懐/家庭事情に合わせて考えればいいように思う。
普通の企業のように給与の一部が支給される仕組みがあれば、もっと取得する人は増えるように思うが、雇用契約を結ばない学振には難しいだろう。



帰国後はまたドタバタ育児が再開するのは言うまでもない。

最近の息子の際立った発達としては、人とのコミュニケーションの芽生えだろうか。
話しかけたりマッサージすれば、笑顔を見せるようになってきたし、必死に言葉を絞り出そうとする姿勢を見せるようになった。
人によって見せる表情や態度にも変化が見られてきた。
接触欲求が明らかに高まってきていて、寝ないものの抱っこを要求するようになってきた。たまに自分の手やオモチャを見つめてボーッとしているが、あまり長くは持たない。隙を見てのデスクワークもなかなか難しくなってきた。
また空腹や甘えでグズっても、歌を聴かせたり踊ったり、音を鳴らしたりすることである程度誤魔化せるようにもなってきた。また、機嫌がよい時は絵本の読み聞かせでも絵を目で追うようになってきた。
(1日に何度もウチの子は天才なんじゃないかと思うほどの親バカぶりである)

特に脳の発達が盛んな印象を受ける。もちろん身体の方もいつの間にか大きく、重くなっていて、今はまだ寝返りもうてないのでプクプクと太りつつある。
首もほぼ座ったが、ウトウトしている時は頭がぐらつくので支えが必須だ。
肌の脂漏性湿疹の問題はほぼなくなり、最近は頭皮の乾燥が気になってきた。原因は冬の乾燥と夜間の暖房と思われる。ローションを頭皮に塗ることでかなり改善したが、それを忘れると、寝ながら痒くて引っ掻いたのか血が出ていたりするので大変申し訳なく思う。

夜の睡眠時間が延びたのには本当に助かっている。夜8-9時に寝かしつけて、次に起きるのが夜中の3-4時。調子が良ければ朝6時まで寝続ける。(なんて良い子なんだろう!)
先日は夜10時〜朝9時まで連続睡眠して度肝を抜かれた(オムツがキャパオーバーしてお漏らししてたけど)。
やはり昼にどれだけ昼寝したか、どれだけ泣いたか(便秘だったり、寝かしつけの失敗だったり)が、夜の睡眠時間に影響しているように思う。
夜中の3-4時のミルク後は信じられない速さで再び眠りにつく。(なんて良い子なんだろう!)
もはやゲップを出させようとしても、徒労に終わることが多い。翌日ミルクを飲みながら、時には顔を赤らめていきんで、オナラをプープーしている。だいたい便秘気味なので、ものすごく臭いオナラだ。
なんだか私のおならに似ているような気がしているのだが、腸内細菌が似ているのだろうか?(食べ物は全く違うはずなのだが…)
妻曰く、頭皮など、体臭も似ているとのこと。

船から帰ってきたら、今度は寝返りにハイハイにと、転落などの事故に気をつけなければならないことが一気に増える。人見知りも始まるかもしれない。もはやベビーバスは手狭になってしまうかもしれない。
成長が楽しみである反面、戦々恐々ともしている。

2019年12月10日火曜日

追悼:高橋太郎

Taro Takahashi, Who Uncovered Key Links Between Oceans and Climate
LDEO, December 4, 2019
より。彼の文献から私も多くのことを学ばせてもらった。哀悼の意を込め、LDEOによる追悼文を全文訳(意訳含む)。R.I.P.

高橋博士の近影(LDEOのブログより)


全球の二酸化炭素の流れを追跡
筆:Kevin Krajick

二酸化炭素と地球の気候に関する重要な発見をした海洋学者である、高橋太郎がニュージャージーのEnglewoodで12/3に亡くなった。享年89歳。60年以上にわたる彼のキャリアの中で、高橋らは、海洋が大量の二酸化炭素を吸収すると同時に放出しており、大気と交換していることを明らかにした。彼がもたらした知見は多くあるが、「人類が排出した二酸化炭素の大部分が海に吸収されていること」について現代の科学者は誰でも知っている。

高橋は第二次世界大戦前に日本で生まれ育ち、若い時に渡米し、アメリカに定住した。彼は20世紀半ばの地球の気候システム研究者の生き残りである。心臓発作による彼の死は、ニューヨークPaliisadesに籍を置くコロンビア大学のLDEO(彼がほとんどのキャリアを積んだ機関)によって確かめられた。

高橋が1950年代後半に研究を始めたとき、科学者らは大きな謎に直面していた。化石燃料の燃焼が温室効果ガスである二酸化炭素を大量に大気に放出しているのに、半分ほどしか所在を特定できていなかったのである。残りはどこへ行ったのだろう?船で取られた数百万もの海水の分析を通じて、高橋らは排出された二酸化炭素の4分の1が海によって吸収されていることを実証した(ちなみに、残りの4分の1は陸によって吸収されていた)。高橋の発見は、温室効果ガスのダイナミクスを扱う多くの後続研究の礎となった。

高橋は1930年11月15日に東京で生まれた。当時、科学者は大気の二酸化炭素を測定し始めたばかりであり、当時の二酸化炭素濃度は300 ppmを下回ると推定されていた。海の二酸化炭素の濃度についてはほとんど何も分かっていなかった。

彼の父高橋Takezo(武蔵?竹蔵?)は1920年代にテキサスの油田で働く鉱山エンジニアであった。彼の母、高橋Tamako(珠子?玉子?)はthriving hat(アメリカ製帽子)の製造会社を経営する家の出身であった。ともにアメリカ文化の崇拝者であった。アメリカとの契約の後押しもあり、高橋の父は帽子の製造会社を継ぎ、日本で唯一の西欧式Stetson帽の販売会社となった。若き高橋青年は、当時私学に通っており、ニューヨークヤンキースやHuckleverry Finnといった書籍のファンに次第になっていた。その時、日本が真珠湾を攻撃した。「子供として、その件には大変困惑した」とのちに彼は語っていた。アメリカとの契約は切れ、帽子商売は破綻した。次第にアメリカによる東京の空爆が激化し、彼が知る東京は跡形も無くなった。1945年には、広島の病院で医師をしていた彼の叔父が、アメリカの原爆によって跡形もなく姿を消した。

高橋は1953年に鉱山エンジニアの学位を得て東京大学を卒業した。米国物理学協会で彼は、「アメリカのアメリカの大学院を選んだのは自然の流れだった」と語っている。叔父を通じて、彼はアメリカ駐留軍で働く数名のアメリカ人と会い、彼らはコロンビア大学に応募することを彼に勧めた。ニューヨークへと移り、Upper East Sideの家族の友人とともに住んだ。高橋は当初英語を学ぶことに大変苦労したが(英語に加えてドイツ語とロシア語も学位獲得に必要とされていた)、1957年に地質学で博士号を取得した。彼は愛するヤンキースに直接会うことができた。彼が学生の頃、凍えるフィラデルフィアを訪れ、独立宣言のコピーの展示を見たことを回想している。普遍的な人権に関する文章を読んで、彼は嗚咽して泣き始めたそうだ。彼は1961年にアメリカ市民になった。

高橋は金鉱での仕事を望んでいたが、Maurice Ewingによって脇道にそらされた。EwingはLDEOの創設者であり、当時世界を牽引する海洋学者であった。高橋の最初の契約は、Lamontの研究船Vemaに10ヶ月乗船することであった。1957-58年の国際地球物理学年の一環として行われた研究航海での彼の仕事は、海洋が大気から二酸化炭素を吸収しているのか、放出しているのか、或いはその両方をしているのかを調べることだった。当時大気中の二酸化炭素濃度が315 ppmを上回り始め、科学者らはその影響について調べることになった。その研究計画の中で、若手研究者のCharles Keelingは大気のサンプリングを続け、20世紀と21世紀の大気中の二酸化炭素濃度の疑いようのない上昇が明らかになった。その海に関する必然的な帰結(二酸化炭素濃度の上昇)を明らかにする計画を率いることになったのが高橋であった。

10ヶ月の航海で、高橋はニューヨークを出発してグリーンランド沿岸に到達し、その後南極に向けて南下し、最終的に南アフリカに入った。航海のほとんどの間、高橋は船酔いに苦しみ、板の間から海水が浸水しないようにシャワーカーテンが張られた甲板の下で寝た。高橋がケープタウンに着いたとき、Ewingは電信を通じて、下船して別の壮大な旅に出るよう指示をした。それはアフリカ大陸を南アフリカからエジプトまで縦断することであった。彼が命じられたのは、複数の地点で植物や土壌を採集することであった。その目的は、度重なる大気中核実験の結果放出された90Srがどれほどアフリカ大陸に分布しているかを調べることであった(90Srが普遍的に存在することがのちに判明した)。

1961年、彼は航海に関する最初の論文を公表した。その大部分は、海洋が大気の二酸化炭素とどのように相互作用しているかの基礎に関するものであった。彼はその後、海洋の二酸化炭素分布をさらに詳細に明らかにするための、新しい分析機器と測定技術の開発に直ちに着手し、当該分野のパイオニアとなった。彼のもっとも親しく、付き合いの長いLDEOの地球化学者の一人がWallace Broeckerだった(昨年亡くなった彼は「地球温暖化」という言葉を科学の用語にした人物とされることも多い)。1970年代後半と1980年代前半の研究プロジェクトの中で、高橋とBroeckerはエクソン・モービル社と協力して、石油タンカーに設置したモニターを通じて海洋表層の二酸化炭素濃度に関するデータを収集し始めた。高橋はその同僚とともに、大学やその他研究機関の集めた膨大なデータについて研究し始めた。

単純にまとめると、彼らの観察によれば、南極と北極で冷たい海水が沈み込む時に大量の二酸化炭素が海に取り込まれる。同時に、全球を循環する海水は赤道付近で湧き上がり、蓄積した二酸化炭素の一部を放出する。そのサイクルには数百年もの歳月を要する。しかしながら、そのプロセスは複雑なパッチワークのようなもので、ある場所では関係が逆転するし、季節/エルニーニョといった長期的な気候変動/海流/風やプランクトンの豊富さにも影響を受ける。一般的には、少なくとも今のところ、海洋は放出するよりも多くの二酸化炭素を吸収している。それは、長期的な蓄積が原因であり、海は大気よりも50倍もの炭素を蓄えているためである。しかしながら、最近の測定によれば、海は人類の二酸化炭素を吸収するのに疲弊しており、吸収は鈍化している可能性があるという。

長年、測定は手で行わなければならず、高橋や学生たちは船で長い時間を費やさなければならなかった。しかし長年かけて、彼とその研究チームは技術を改良・自動化し、作業者がもはや不要になった。多くの商船が彼らの自動測定装置を積み、測定を続けている。

1960年代と1970年代にLamontの暫定期間中に、彼はスクリップス海洋研究所、カリフォルニア工科大、ニューヨーク市のクイーンズカレッジでポジションを得た。Rochester大で教授として働く間、彼はのちの53年間の妻となる、遺伝学者であり臨床ソーシャルワーカーであるElaine Acheに出会い、1966年に結婚した。
(長年の間、彼がのちにビートルズのジョン・レノンと結婚するオノ・ヨーコと婚約したという噂が同僚の間で飛び交っていた。2018年のインタビューで、高橋は「その話は大げさだ」と語っている。確かに、彼がオノ・ヨーコと会ったというのは事実だ。彼女の裕福な家族は高橋と同時期に東京からニューヨークに渡っている。高橋は偶然ヨーコの兄弟と知り合いになり、1956年にその兄弟が高橋を家族に紹介している。高橋がヨーコと会ったのはほんの数回である。一度、彼が彼女を、その他の日本人駐在員とともにマンハッタン・ストリートの角にあるハンバーガー屋でのグループデートに誘ったことがある。「それが話の全てだ。何も起きていないよ」と彼は言っていた。)

高橋は2003年頃まで海で過ごし続けた。その後、彼がデザインを手助けした新技術によって船がデータを彼のラボに直送するのが簡単になり、彼はほとんど家で過ごした。一方で、彼は二酸化炭素が工業用煙突からどのように放出され海底に貯蔵されるかについての研究に手を出し、地球のマントルと月のコアの化学を理解するための同僚の実験にも関与した。全部で、彼は約250編の主著および共著論文の著者となった。

高橋の気候に関する態度は時間とともに変化した。1990年代のはじめ頃には、彼はBroeckerを含むLDEOの4人の研究者とともにアメリカ上院議員のアル・ゴアと面会した。ゴアは二酸化炭素が招く地球温暖化の積み重なる証拠と、何ができるかについて議論したいと望んでいた。当時、高橋は「ゴアほど熱心になることはできなかった」と語っていた。「暴走温暖化の危険性については認識していたものの、それが悪いことだとは完全に思っていなかった。2℃温暖な状態が本当に人類にとって悪いことなのだろうか?」と彼は付け加えた。

その後数年経て、彼は考えを改めた。2009年には、人類の二酸化炭素生産が記録的な高さに到達した(その後ずっと記録が塗り替えられている)とする世界的な報告書の共著者となった。それ以来、炭素排出の削減は人類にとって「非常に差し迫った課題」と呼ぶようになった。2010年には、環境リーダーシップに対して国連のChampion of the Earth賞を獲得した。彼は国連のビデオの中で、「今もっとも疑問に思っているのは、人間活動の尻拭いをするために、海が二酸化炭素吸収をし続けるかどうかだ」と言っていた。解決策として、二酸化炭素を大気から捕獲する技術とともに、より効率的な車や発電所が必要だと言っていた。

高橋は死の数週間前に健康状態が悪化するまで、新しい研究に取り組み続けた。彼は回復して仕事に復帰しそうだったが、深夜に発作に見舞われ亡くなった。彼は宇宙学や宇宙における人類の位置付けについて常に興味を抱いており、その夜にスティーブン・ホーキンスのA Brief History of Timeを読み始めたばかりであった。彼の娘、スージーによれば、しおりは16ページのところにあったらしい。

高橋は、妻、アリゾナ州立大学で航空工学の教授を務める息子ティモシー、演技教授でありニューヨークの劇場の監督である娘スージー、日本に住む妹の山田Yoko(葉子?)と兄弟のKatsuo(勝雄?)によって生かされた。

彼が亡くなった時点で全球の大気中の二酸化炭素濃度は約411 ppmとなり、さらに上昇し続けると予想されている。

2019年12月4日水曜日

面白い誤変換(No. 3)

誤変換が私の腹筋を壊しにくる。。

⚪︎ 測定日
× 測定美
美しいデータというのもあるが…

⚪︎ 古環境学的
× 股間驚愕的
下ネタか!代われ

⚪︎ 大槌湾内と
× 大槌ワンナイト
ナイトダイブ?

⚪︎ 東海支店の
× 倒壊してんの
縁起でもない

⚪︎ 有孔虫破片
× 有孔虫は変
有孔虫は変じゃないよ、可愛いよ、美しいよ

⚪︎ 海底堆積物コア
× 書いていた石仏コア
もはや意味不明。タイプミスも含めて

⚪︎ 南極中層水
× 南極Chew総帥
一度誤変換した結果、「ちゅう」と打つと「Chew」が優先的に示唆されるように。。

2019年11月21日木曜日

研究と育児(2)

ブログが育児日記になりつつあるが、そのうち科学の話題に戻るのでご安心を。

よくやく息子も生後2ヶ月を迎え、すくすく成長中。予防接種も始まった。

最近みるみるウンチの回数が減り、最長で3日ウンチをしない日が続くように。便の色はミルクを「はいはい」に変えたところ、「アイクレオ」時代の黄色から緑色に逆戻り。
便秘気味かな、と少し心配ではあるのだけれど、「3〜4日は自然排便を待て」とする記事もあり、杞憂かも?
ミルクを飲んでいる最中にいきむことが多くなったが、出ない場合がほとんど。
便意の波が去ると本人もそんなに気にしていないように見えるので、案外大丈夫なのかもしれない。
体重の増加率もなんら問題はないし、現状維持でいいように思える。

それよりも強く泣くのが、ゲップが出ていない時のお腹の張り。
「そんなに泣く!?」というくらいギャン泣きすることが多く、解消したらすぐに寝たりするので、結構驚き。

あとは横向きであやしても寝なくなり、縦抱きにして小刻みに振動を与えるという、例のアレが早くも始まってしまった。
椅子に座った状態だと本人の足に負担がかかるのが気に障るのか、立った状態でこれをやらないとうまく寝れなくなってきた。腰が悲鳴を上げている。

夜20〜21時くらいに寝かしつけようと心がけているけれど、眠いのにうまく入眠できず(眠りが浅い状態でベッドに置かれる、など)、ギャン泣きするケースが2日に1回は確実にある(感覚的には毎晩)。
そんなときは、膝の上で見守りながら、10分間と決めて思いっきり泣かせてやると、胸の中でヒックヒックすすり泣きしながらも、すぐにすっと眠ることが多い。
妻は「かわいそう」と言って途中であやし始めるのだけれど、そうすると30分経っても1時間経っても、ぐずったままで寝ないから、私は「時間を決めて思いっきり泣かせてやる派」だ。
これがのちの性格形成に影響しないか心配ではあるのだけれど、正直正解はよく分からない。
「男の子はエネルギーの塊だから発散が必要」という意見もわかるし、私も幼少期は一度泣くと堰を切ったように大泣きするタイプだったようだし、そんなもんじゃないかなーとも思う。

夜の睡眠時間がものすごく長くなった。今のところ最長で8時間!
新生児にしては寝すぎじゃ無いかと心配にならないでもないが、夜中に起こされるよりはマシかとも思ったりして。。
新生児用のオムツを履かせた状態でこれほど長く眠ると、起きた時に背中周りの服(や最悪の場合シーツ)がおしっこで濡れてしまい、明らかにオムツのキャパオーバーをしてしまうことがわかったので、最近はサイズアップしてSサイズを履かせるように。

服はかなりパツパツになってきてそろそろ着れないものが出てきそう。
オムツに関しては小尻ということもありまだまだ大丈夫そうな印象。

最近表情が豊かになってきて、体をマッサージしたり、歌いながら踊らせるとよく笑うようになった。こんな可愛い生物は子猫以外に見たことがない…。
まだまだ「アー」とか「ウー」とかしか発声しないが、しゃべってコミュニケーションをとれるようになる日が待ち遠しくてならない。

2019年10月29日火曜日

研究と育児(1)

9月15日に第一子である息子が生まれ、イクメンモードに突入。
当初、育児をしながら、論文など家でパソコンだけでできることに専念しようと思っていたけど、家事に育児に追われていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

朝起きて自分と妻の朝食準備して、洗濯回して、茶碗洗って、子供の沐浴して、掃除機かけて、洗濯物干して、、、とやっているともう昼。
午後に少し仕事する時間ができるけど、急に子供の対応をすることになったり、哺乳瓶洗って消毒したり、暗くなる前に買い出し(by チャリ)や気晴らしのランニングに行こうとすると…あっという間に仕事する時間はなくなってしまう。
最近は比較的近くにあるフットサル場で個サルに参加するようになり、気晴らしの機会が前より多くなった。

今回出産を機に引越したこともあり、売却家具の引き渡しに、引越しの箱詰め(入院中の妻の分も)に、役所の手続きにと色々追われていた。
地化学会の奨励賞受賞も重なったので、出産前後は非常に慌ただしかった(出産予定日に近かったため、最悪の場合、受賞記念講演も見送る可能性があった)。

育児に関しては、ミルクをあげる時間よりは、その後のあやして寝かしつけるところに時間が取られることが多いと感じる。(猫のように)膝でじっとしてていればその状態でパソコン作業ができるのだが(中高生時代、そうやって勉強していたように)、まだ首も座っておらず片手抱きも不安なので、一度寝かしつけを始めたら仕事など到底できない。

子供はベッドで一人で寝られず、寝ていない状態でベッドに移すと確実に泣くというのも知らなかった。
5〜30分くらいかけて腕の中で眠りに落として、ようやくベッドに移すも、背中スイッチONで再びやり直し、などなど。怒りはこみ上げないけど、やれやれ、という感じにはなる。
(お包みとか、音楽とか、照明とか、おしゃぶりとか、バウンサーとか、試行錯誤する毎日!)
今は私の腕でもスヤスヤ寝ているし、あやすのは誰でも良いという風に感じる。そのうち人の区別がついて、私ではあやすのが難しくなるのだろうか。

産後の妻も精神的・身体的にしんどそうで、私が家事をすべてやる日々が約1ヶ月(私も精神的・身体的に辛かった)。
次第に妻も回復してきて、簡単な家事をしてくれるようになり、仕事に避ける時間が徐々に増え始めた。
私は料理が趣味でもあるので、しっかり作りたい衝動に狩られるのだが、仕事をするにはやはり料理を手抜きする必要があり、最近は少し抑え気味に(家族の理解もあって)。
生後1ヶ月を過ぎ、天気のいい日は散歩のために外に連れ出したいので、また時間が取られそうではある。

つい最近まで科研費の申請書類の準備に追われていたので(1週間で3申請書を書き上げた)、少し家事・育児がおろそかになってしまった。
いまはそれがひと段落して、逆に燃え尽き症候群に陥り、仕事があまり手につかない。締め切りが設定されていない/結構先のものが多いこともその要因の一つではあるのだが。

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授乳とウンチ
子供が生後1.5ヶ月になり、ミルクを飲む量が明らかに増えた。
前は妻の授乳だけで済んでいたものが、次第に追いミルクが必要になり、今は妻の授乳では不足している印象。
最初の数週間は飲むたびに飲みながらブリブリうんちをしていたのが、次第に回数が減っていった。1〜2時間に1回はうんちをするので、オムツの消費量はすごかった。
ウンチの色も、最初はすごい色をしていたのが、次第に黄みがかる。最近は妻が風邪気味だったこともあり、粉ミルクだけに切り替えたら、1日に1回しかウンチが出ず、便秘気味に。一度に出るウンチの量も半端なく、しかも半固形で粘性が高い。臭いのは言うまでもないが、一番驚いたのが、色。なんと緑白色!!
育児とは驚きの連続である。
妻も風邪から回復し、授乳を再開したところ、ウンチのリズムが正常に戻りつつある(でも臭い)。

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睡眠
生まれた直後は2〜3時間ごとに起きて授乳、授乳すると即寝てしまうという繰り返しだったけど、次第に泣く時間・寝ていない時間が増えてきた。
1.5ヶ月になると飲んだ直後ウトウトしても、ベッドに移すと割とすぐに起きて、大人しくしている場合も(たいていは静かに泣いてこちらにアピールする)。

生後1ヶ月頃は、コリック(黄昏泣き)と思しき症状が。何をしてもダメで、反り返って1〜3時間ギャン泣きし続ける、という感じ。
印象としては、ゲップがうまく出せていなかったか、ウンチが出ずに腹がパンパンだったのか、何れにしても消化器系に問題があったように感じた。だいたい大量のウンチをして、泣き止んで我に帰る、というのが1週間ほど続いた。
ギャン泣きを見るに見かねて、この時におしゃぶりを始めたのだけれど、結構効果があって、消化器系の不調よりも乳首を吸っている感覚で脳が騙されているような感じだった(そして寝ながらウンチする)。
ただ、最近は早くもおしゃぶりと哺乳瓶の乳首の違いが分かる(ミルクの有無)ようになってしまい、すぐにベーッと吐き出してしまうように。ちょっとデビューを急ぎ過ぎたかな。。

生後1ヶ月を過ぎて、夜まとまって寝るようになってきた。といっても3〜5時に一回は起きることがほとんど。たまに夜23〜朝7時まで寝続けることがあるくらい。
昼に寝させすぎると夜頻繁に起きるように思えたので、最近は少しだけ昼に泣かせて発散させるようにしている。といってもあまりに放置するとギャン泣きモードに突入するので、シクシク泣きを続けさせ、都度声をかける、トントンしてあげる、という具合。

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腹が満たされ、ウンチの問題もなく、穏やかに起きている時の息子は天使(むしろお猿さん?w)のように可愛い。
ただ、ギャン泣きしている時の息子は鬼の形相でこちらを恨めしそうに睨んでくるし、対応しているこっちもドキドキしてしまう。
いい時もあるし悪い時もある。でも自分の写し身のような息子だから、マイナスの感情は"ほぼ"抱かず、何かあればせっせと世話をする毎日を過ごしている。他人の子ならきっと心が折れるだろうな。。

乳児発疹・アレルギー性皮膚炎・良性血管腫・未熟児など、大変なケースを耳にすることもあるが、私の息子は特に大きな心配もなく、すくすくと成長してくれている(体重増加もいたって平均的)。
沐浴は私が担当しているが、お湯に浸かるのが大好きのようで(妻と私が出会うきっかけがダイビングだったこともあり、息子の名前は"海"にちなんでいる)、ニコニコしている(ように見える)し、顔や耳に水がかかっても特に気にしないようである。

12月からの航海で1ヶ月家を留守にするので、頑張り過ぎず、残りの1ヶ月半の育児を大切にしたい(帰国後またイクメン再開なのだけれど)。

2019年7月10日水曜日

ドイツの電車に右往左往

先日ハンブルクからブレーメン経由でブレマーハーフェンに帰る途中で起きた出来事に関して。

行きは何もなくスムーズにいったのだけれど、帰りに本当に大変な思いをした。
帰りは日曜の夕方頃。

ブレーメンからの19:40 ブレマーハーフェン/レフェ(Bremerhaven-Lehe)行きの電車をホームで待つも一向に来ない。
同じホームには数10名の人の姿。きっと遅れてるんだな、と思いさらに15分待つも来ない。
ホームにいた移民っぽいお婆ちゃんが話しかけて来て、「ブレマーハーフェン 行き?」と聞かれ「そう」と答え、さらに待つ。電車は来ない。



気づいたらホームの掲示板から「19:40発」の表示がなくなり、代わりに「20:40発」に変わってる!!



ホームでは無料wifiが受信できなかったので、電光掲示板の案内を見るついでに入り口に行ってネットで検索するも、特に情報は掴めず。

しばし待機することに。。

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ようやくやってきた「20:40発 ブレマーハーフェン/レフェ」行きの電車に乗る。こちらは定刻通り。

乗車時間は1時間ほど。安心してのんびりしていたら、途中駅でやたら多くの人が降りていく。有名な都市なのかな?とか思いつつ、多少不安にもかられつつ、そのまま座り続けることに。

ハンブルクでは、途中で車両を切り離して別の目的地に向かうタイプの電車で、間違った車両(Wagen)に乗っていたらしく、別の方面に向かってしまうという失敗をしてしまっていたので。。

「まさか今回もそれか!?」と不安が頭をよぎる。しかしどこにもそんな表示なかったし…。
見た感じ(別の車両に)乗客はまだ残っているし、でもやたら長く駅に止まってるけどどうして…。そして目の前を通り過ぎる車掌。。

しばらくして電車が動き出したと思った矢先…


反対方向に向かっているということに気づく!


Google Mapの現在地も明らかに自分がブレーメン方向に向かっている!
車内の電光掲示板もいつの間にか行き先が「Twistringen」に変わってる(あとで路線図みて反対方向だと知った)。

さっき多くの人が降りて行った理由はこれか!
ホームの掲示板にはそんな表示なかったし、車内でも英語のアナウンスなかったけど、何で折り返してるの!?

とりあえず次の駅で電車を降り、車掌さんに尋ねると、さっきの電車は途中停車し、先の駅へはバス輸送になっていたらしい。。
次の電車は30分後だからこの駅の反対ホームで待ってね。

流暢な英語で説明してくれ、最後にゴメンね、と言ってくれたのは幸いだったけど、それなら英語でアナウンスくらいして欲しかった。。というか目の前通り過ぎた時になんか言って欲しかった。。
きっと車内でドイツ語でアナウンスがあったからみんな事情を把握したんだろうな。。

以前マドリードの空港から市内に向かうときも似た事例が。そのときはストか工事か忘れたけど、最終駅で車掌さんが全車両を回って「さあ降りて!」と言ってくれたので他の観光客に混ざってぞろぞろバス停に向かったのだけれど。今回は何もなく…。

誰かに聞くべきだった。むしろブレーメンの駅で案内の人にキャンセルの理由も含め、聞いておくべきだった。。そしたら次の電車もバスへの乗り継ぎがあるという情報が得られていたかもしれない。


そして30分後、やってきた電車に乗り込み、一駅先に向かう。
もう遅い時間だったので、隣に座ってた、いかにも空港から帰る途中っぽい、英語できそうな女性に「この電車はブレマーハーフェン 行きですか?次の駅でバスに乗り換えですか?」と尋ねると、どうやらバスへの乗り継ぎはなく、そのまま乗ってればブレマーハーフェン まで行くとのこと。しかも丁寧にあと何分くらい、とまで教えてくれた。

Google mapで自分の位置を確認しながら、そわそわしながら30分。ようやくブレマーハーフェン に到着。

女性は到着の直前に次の駅よ、と教えてくれた。
ブレマーハーフェン の一つ前にもう一つ駅があるのだが、乗っていた電車はなぜかそこをスルー。何故?夜だから?

結局乗った電車がバス乗り継ぎにならなかった理由もよく分からず(事故等が原因ですぐに解消した?)。

本当なら20時半くらいの到着予定が、着いたのは日没後の22時半。

ちょうど外も寒く、ホームで正味1時間半待ったから身体も冷え切っていた。。


ドイツの電車事情について、あとからネットで調べて色々知るという。
遅延のこと、大規模な工事が進んでいること、などなど。



ドイツで電車の遅延や振替に驚かないよう、誰かの参考になれば幸い。

2019年7月3日水曜日

ドイツと日本の違い

ドイツと日本の違いについて。色々感じることを雑多に書いてみたい。

1、ワークライフバランス
家族を大事にする国民性と聞いていたけれど、実際に暮らしてみてそれを実感することが多々。
家族の結婚式の後片付けのために平日に普通に休むし、子供の迎えのために早上がりすることも(15時頃)。
また休日を大事にするあまり、金曜は午後早くに帰る人も多く、月曜は出勤が遅めだったり。金曜の14時くらいには研究所から半分以上の車がなくなっていて、さすがに驚いた。

あとは夜の過ごし方。日本に海外からゲストが来たらまず初めに懇親会をやって、毎晩夕飯に連れ出して、と色々「おもてなし」について考えるが、ドイツはそういう概念がない。17時前後に「じゃあ」と言って皆足早に去っていく。私自身も一人の時間を愛する人間なので、あまり寂しいという感覚はないのだが。

最近、「日本の公務員がバスに乗るために毎日15分早く無断で帰っていて処罰された」というのがYahooニュースに上がっていた。
コメント欄には「これは間違いなく処罰対象。むしろ読書するなどして30分くらいバス待てばいいのに」と賛同の意が埋め尽くされていたが、ドイツ人に言わせれば全く理解できなさそう。「じゃあ人より15分早く仕事が終わるようにすればいいね」と。

ドイツ人も日本人同様、真面目できっちりしている、というのは確かにそうかもしれないけど、こと時間に関しては少しルーズな印象を受ける。逆に言えば私の頭が日本の文化に毒されすぎているのかもしれない。

当該分野の研究に関して言えば、ドイツの研究機関が日本以上に成果を上げているのは間違いない。
日本はやたら書類仕事が多すぎる。また分業が浸透していないから、教授職なのに雑務が多い、といった能力の無駄遣いが多い。誰でもできる仕事を博士がする必然性などない。
日本の「日々の勤務時間の長さ」や、「休暇の短さ」は国際的にも異常だ。オフィスにやたら長時間いる割に成果は上げていない。

全てを真似る必要はないが、海外式の、分業制の導入によって、短時間で効率よく研究を進めるという姿勢をもっと学ぶべきだろう。その点で、もっとテクニシャンとしてのポジションが日本でも浸透すると良いのに、と思わざるを得ない。
英語ができて、機械のオペレーションができて、あまり異動しない人。そうした人的資源をもっと活用できないものか。

2、電気・エネルギー政策
今日のミーティングでは、学生がドイツのエネルギー政策についてプレゼンをしていた。いかに温室効果ガス排出を削減するような社会を実現させるか、特にそれを社会に周知するための方策について。今回の焦点は風力発電。

ミーティングの議長もまた、機関として、個人として、どんな温暖化対策ができるのかについて皆に話題提供をしていて、積極的に意見を求めるなど、場に参加していて驚かされた。というのも、私がこれまで属した研究機関で、そのような気候変化に関する話題が出ることは基本的になかったからだ(科学雑誌で取り上げられていたよ、と紹介するといったことはラボ・ミーティングであったが)。
特に研究者は国内外への移動が多い。飛行機の使用を抑えること、鉄道を積極的に使用すること(そうすれば論文を読む時間も確保できる!)など、皆に提案していた。

環境に対する意識は日本とは比べ物にならないほど高いように感じる。
ビニールの使用も控えめだ。スーパーには紙袋しか置いていないし、基本有料なので皆袋を持参している。

あと電気代。再生可能エネルギーへの投資もあり、ドイツの電気代は高いことで有名。
前回マインツに滞在した時も、「基本電気はこまめに消してね」と念を押されたし、ホストも薄暗がりの中、間接照明だけで夜を過ごしていた。
ブレマーハーフェン の宿も着いた途端に大量のろうそくが目に入った。おそらく電球よりもろうそくの方が安上がりなんだろう。
いまは日没が22時と非常に遅く、体内時計を正常にするために私も積極的にろうそくを使用している。
必ずしも部屋を明るくする必要はないので、日本に帰ってからも照明について見直してみようと思った次第。

興味深いのは食洗機の存在。
これまで私も使ったことなかったのだけれど、あまりにシンクが小さいので初めて使ってみることに。
マインツ大学でもAWIでも、研究機関の部屋・キッチンにも食洗機が備え付けてあるのがすごい。
またてっきり油物専用かと思いきや、実はコーヒーのマグカップなども積極的に食洗機で洗っているのに気づく。電気の無駄遣いにしか思えないけど、そこには効率化と水の硬度のことがある。
食洗機には洗剤だけでなく、塩・リンス剤といった別の物質を入れる箇所がある。簡単にしか調べていないが、これらは湯垢や水垢を落とすための役割を追っているらしい。
例えばワイングラスも普通に水洗いを繰り返しているとだんだん曇っていくことに気づく。湯沸し用のポットの湯垢もひどい。
おそらく食器を綺麗に保つための一つの手段として、食洗機が広く浸透しているのだろう。

3、肥満・健康・食生活
ドイツは肥満が多い。街に行くと目につく。肥満の割合はヨーロッパで突出しているらしい。
ランニングする人も少なく、走っている人はだいたい既に細い。犬やカップル同士で散歩をする人は非常に多く見かける。

運動不足もあるが、やはり大きいのは食生活だろう。
海の少ないドイツは魚介類の消費が少ない。
また野菜の消費も少ない。例外はザワークラウトとジャガイモ。何を頼んでも大体これら二つがついてくる場合が多い。
一方で肉・チーズの入った料理が多く、味付けも濃いめ。

最近近所で買ったケバブにはフライドポテトとザワークラウト、生玉ねぎが載っていた。それだけで味付けは濃いのに、さらにサワークリームが付く。
私からすると3日に分けて食べたいと思う量を、それをコーラと一緒に一人でたいらげる大きい人々が目につく。

イギリス同様、産業が盛んだったドイツでは女性もあくせく働いていたため、歴史的に食事の準備にかける時間が少ないという話をよく聞く。
いわゆる「冷たい食事」が朝夕の基本で、手間のかかる「温かい食事」は昼にしか食べない、とも。
日本みたいに朝・昼・夜で違ったもの、毎日違うメニューを、といったことを考えるのが面倒という意見もどこかで聞いたことがある。同じものをお腹いっぱい、というのを好む人が多いのかもしれない。

またビールがとにかく安い。本当に水よりも安い。
水の場合1Lペットボトルで1ユーロを切るくらい。ビールの場合500mLで1ユーロ前後。
日本だと500 mLの国産ビールが300円前後だが、ドイツは130円かそこら。日本の酒税が高いこともさることながら、ドイツのビールの安さもなかなかのもの。ただ、私自身ビール大好き人間なので、ドイツにいるときは基本ハッピーだ。
日本にいる時は、痛風になりたくないがためにビール(もしくは発泡酒)は1日350mLで我慢しているのが不思議なくらいだ。結局のところ安いと飲んでしまう。

喫煙者も多い。マインツでは毎日ホストが部屋で喫煙していて、部屋にいても受動喫煙がひどく民泊に嫌気がさした。
路上喫煙もマインツ(やウィーン)では目立ったが、ブレマーハーフェン ではそれほど目につかない。ただ、豪快にタバコのポイ捨てをする人もいるし(女性でも)、路地はタバコの吸い殻だらけだ。
今日参加したミーティングでも、タバコのパッケージに危険を喚起するホラーな写真が使われ始めても、喫煙者の割合は増加したと言っていた。他国に比べても愛煙家が多い印象(たばこ税もかなり高いのだが)。

レジャーが少ないことも関係しているのだろうか?
以下はドイツ人の休日の過ごし方からの抜粋(数字は%)

  1. 庭仕事 30.3
  2. 買い物 26.9
  3. パズル・謎解き 17.1
  4. 外食 13.7
  5. コンピューター・ゲーム 12.6
  6. カード・ゲーム 12.4
  7. 家の修理 11.4

家か近所で済むものばかり…?

AWI(ブレマーハーフェン)滞在

Twitter等ではすでに周知していますが、ブレーメンの北にある、ブレマーハーフェン に来ています。
今回の目的は有孔虫ホウ素同位体分析手法について学ばせてもらうため。今回は1ヶ月間だけの滞在。
高知でやっているものよりも10分の1ほどの量でこちらでは測定できています(!)

ただ、着いた途端に「質量分析計(MC-ICPMS)が壊れた」と言われ、この10日ほどデスクワークだけの日々が続いています。
不思議なもので、論文執筆が進む進む!よく先生方が海外出張の時こそ論文仕上げるチャンスと言うけど、まさにそんな感じ。

国内だとやれ実験だ、やれセミナーだと長時間集中した時間を確保することが難しいわけだけど、こちらではパソコンにだけ向き合っていれば良いので。。
こちらのMC-ICPMSは高知で使っているThermo社のもの(Neptune)ではなく、ウェールズに籍を置くNu instrument社のPlasma 2。私自身一度も触ったことのない機械なので、復旧のための何か気の利いたアドバイスなどできるわけもなく。

専従のテクニシャンが二人もいるので、基本はその二人と研究者の方(今回実験を教わる)に機械の修理は任せっきり。

今週に入ってようやくシグナルが取れるようになるも、問題は測定の安定性(測定精度)。
なかなか安定せず、次は新たなソフトウェアをインストールするとか。このままだと何も進まないまま2週間が経過してしまいそう。。

昼にはラボのメンバーと研究所の食堂に。
メニューは基本「肉食」「ベジタリアン食」「パン・サラダバー」
の3択。値段も4.2〜4.6ユーロとお手軽。少し量は多め。
驚くべきことにメニューが日替わりで、一切被らないこと!
ドイツ中の都市の郷土料理が出たりして、毎日新しい発見に満ちている。

残念なのは7月の第2週から食堂が夏季休業に入ってしまうこと。ランチを持参する必要があり、サンドイッチなど用意する手間が。。
最近見つけた近所のケバブ屋がものすごいボリュームなので(たったの7ユーロ)、3日くらいに分けてパンに挟んで食べるのもありかもしれない。

AWIを正面から。形がユニークな建物(ひし形)。食堂は最上階に。


AWIはウォーターフロント・エリアにある。


息抜きは町の散歩。
商店街には人がたくさん集まっていて、夕方のカフェやディナーを楽しんでいる。

着いた時、国際ニュースにもなっていたヨーロッパの熱波到来の時で、気温は34度まで上昇。

広場の噴水に飛び込む子供の姿(オムツしたままでw)。

ただ、その翌日には最高気温が17度まで低下。最近は16〜20度くらいで推移していて、過ごしやすいです。ただ、風が強いのが少しネック。

今は非常に日が長く、日の出は5時、日の入りは22時。少し寒くても日光浴を楽しむ人々の姿が目につく。
最初タイムゾーンの関係かと思っていたけど、ブレマーハーフェン の緯度は日本の近辺で表現すると樺太あたり!北欧にかなり近い。

広場にあるプロテスタント教会

カンファレンスも開催できるみたい


ブレマーハーフェン はヴェーザー川の河口にある、北海への入り口。
かねてより重要な交易・造船の港湾都市。川を使った輸送としても重要な役割を負っていたらしい。
ただ事業の衰退で一時は大量の失業者を出した。今は洋上風力発電設備の建設・移送基地として再び輝きを取り戻そうとしている。

見た所、観光地というよりは、保養地という印象。老人の団体や車椅子の老人をよく見かける。ヨットも多く停留しており、お金持ちは沿岸に住んでるのかな。

潮汐が大きいのが特徴で、その規模は3メートルほど。川かと思いきや潮汐の影響も大きく受けるところなので、潮の満ち干で風景が大きく変わるのが面白い。

川沿いの遊歩道。ランニングしている人の姿はなく、だいたい散歩か昼寝

引き潮で風景が様変わり

釣りをしようと釣り具も持って来たけど、釣りをするにはライセンスが必要とのこと。川にはスズキやマスなどがいそうな気もするけど、こんだけ潮汐の影響があると塩分の変化もすごそうだし、何かいるのかな?? 魚が跳ねている姿すら見ていない。小魚も一切見ない。

知人に頼まれて二枚貝がいないか探しているのだけれど、殻一つ見かけない。
砂浜には砂利とガラス、レンガの破片のみ。
結構子供が裸足で歩き回っているけど、大丈夫なのかな?

2019年3月24日日曜日

マインツ近郊リューデスハイム散策

 週末気持ちよく晴れたので、マインツから少し西に行ったところにあるリューデスハイムへ散策に行くことに。観光客やハイカーが集う小さなワインの街。
4月以降はライン川下りが可能になるので、マインツから船でもアクセス可能な街。今回はヴィースバーデン(Wiesbaden)経由で電車で行くことに。片道1時間程度。


今回のルートは以下の通り。ロープウェーを往復するよりも反対側に降りた方が良いというおすすめ情報をネットで見つけたので、その通りにすることに。
ロープウェイを降りた先で別の駅(アシュマンスハウゼン)があり、そこから乗っても良かったのだけれど、お土産屋がことごとくしまっていたのと、歩ける距離だったので結局南回りでリューデスハイムまで引き返すことに。疲れたけど、意外な発見があって非常に面白かった!



まずはリューデスハイムの風景から。

つぐみ横丁という、両側にワインバー、レストランが軒を連ねる小道を少し歩きます。
夜はみんな酔って踊っていたりと、また違う雰囲気になるらしい。
シーズンオフということで人はまばら。建物の雰囲気はとても可愛らしい感じ。






朝一で行ったのでレストランがことごとく空いておらず。。だいたい12時開店らしい。写真は11時頃。

土産物屋を一通り見て回るも時間を持て余したので、ランチを先送りにし、丘の上を目指すことに。
名物のカツレツ食べたかったなあ…!!


なんとも開放的なロープウェー。2人乗り。



ライン川に向いた南側斜面は見渡す限りのブドウ畑。
最高気温20度ということで、結構薄着できたのだけれど、冷たい風がびゅんびゅん吹き付けていて、すっかり体が冷えてしまった。。

まだ作付けの時期で緑は少なく、夏頃に来たら今よりも素晴らしい景色になるんだろうなと。来年の夏に期待(来たい)。


丘の上は、ライン川が一望できるほど。


丘の上には著名な彫像が。高さ30メートルとも!


その先は山道をハイキング。途中ちょっとした遺跡や野生(?)の鹿など。

下りのロープウェーは行きよりもかなり簡素で、しかもゆっくり。
若干靄がかかっていて遠くが少し見えにくく。



ライン川の向こうに、古城(ラインシュタイン城)がうっすら。


こちらも南側斜面はブドウ畑。斜面で仕事すると考えると…大変そう。。


想像していた以上に閑散とした街並み。定休日?(土曜だけど)

いい感じの建物があったので、ランチにすることに。あとで調べたら歴史450年もある老舗ホテル(Hotel krone)だった…!(屋外ではオフラインのため検索できず)


この地域の名物である、リースリング種の白ワインをいただきます。


ブルストを注文。付け合わせはポテトサラダとサラダ。
Blut(blood)wrustを頼んだつもりだったけど、Bratwrustと勘違いされたのかな?
血入りの赤黒いソーセージを想像していたら、セージの効いたごく一般的なものが到着。

日本のポテサラは塩もみしたキュウリとハムを入れるのが一般的だけど、こちら(本場?)はピクルスにベーコン。結構塩も効いている。




ランチ後、アシュマンスハウゼン駅の横の小道を歩いてリューゼンハイムに向かうことに。線路のすぐ脇に、むかし使っていたであろう街道。
いまは植物が覆っていて歩きにくい感じ。ただところどころゴミがあったので、今でも歩く人はいるのかもしれない。



ところどころいい感じの露頭。以下は堆積岩の一種で泥岩が層をなしている。化石を探したけど特に見つからず。



白雲母かと思うくらい輝いているものも。あとあと調べると、おそらく中生代の、テチス海の堆積物と思われ。泥岩が積み重なってできた粘板岩(スレート)は熱をよく蓄えるとかで、ワインの生育に適しているらしい。



こちらは自然物と人工物の不整合。
その場で取れる岩を建材にして壁を作っているので、このような興味深い地層境界ができる。



最後まで来て行き止まりか!?と思ったらちゃんと解錠されてました。ほっ



小道を抜けると、農道となっており、車の轍が。



左はワイナリーの敷地。丘の上にはまたもや古城(エーレンフェルス城)。
この辺りの有力者がワイン農場を経営していたんだろう。川から侵入できないように城壁が整えられている。


興味深いことに水路がしっかりと整えられている。城壁にも所々穴が開けられていて、うまく雨水を逃して城壁が決壊するのを抑えているのかな、と。
雨などの際に土壌が流出しないようにという配慮からか、おそらくワイン畑には芝(?)が張り巡らされている。というか、自然に生えるものを放置しているのかも。



おおよそ2万歩歩いてクタクタ。フランクフルト空港や市街地からも近いので、特にワイン好きにはオススメしたい地域。白ワインや蒸留酒もしっかりお土産に。

次はライン川下りのシーズンとブドウが実っている時期に来たいな、と思った次第。

2019年2月8日金曜日

学振メモ〜PD申請から終了までのログ〜

最終更新日:2019/10/29

2014年度(博士課程3年)申請(主著1本)
審査領域:数物系科学/地質
➡︎不採用「B判定(上位20〜50%)」(2014/10/16)

評点結果
・研究者としての能力・将来性 3.50
・研究実績          2.83
・研究計画          3.83
総合評価          3.33

(本人の分析)
主著1本という業績が大きく足を引っ張った。国際学会の発表や学会プロシーディングスなどは多数あったものの、やはり個々の研究をしっかりと論文にまとめる能力が要求される。

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2015年度(ポスドク1年目)申請(主著2本)
審査領域:数物系科学/地質
➡︎不採用「A判定(上位20%以内)」(2015/10/16)

評点結果
・研究者としての能力・将来性 3.80
・研究実績          3.80
・研究計画          3.60
総合評価          3.60

(本人の分析)
あと一歩及ばなかった。
去年度から主著が増えたものの、やはり2本では他の申請者に比べて見劣りするだろう。
研究計画を去年度からやや変更したが、点数が下がったことから見ても、多少盛り込みすぎた、あるいは実現可能性が低いと見られたのかもしれない。「この研究をスタートすれば結果は自ずと出る」という計画に対する絶対的自信が大事。緻密な研究計画よりも、研究の重要性・新規性・発展性をアピールする必要がある。

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2016年度(ポスドク2年目)申請(主著4本・共著1本)
審査領域:総合/環境動態解析
➡︎面接(2016/10/14)
応募総数:314人(男性230人、女性84人)
面接免除採用:37人(11.8%)
面接候補者:24人(7.6%)
不採用:253人(80.6%)

➡︎採用内定(2016/12/26 14:00)
応募総数:314人(男性230人、女性84人)
採用内定者:43人(13.7%)
補欠者:16人(5.1%)
不採用:255人(81.2%)

※参考(同領域28年度採用分)
応募総数:349人(男性242人、女性107人)
採用46人(13.2%)

※参考(同領域27年度採用分)
応募総数:365人(男性247人、女性118人)
採用37人(10.1%)

(本人の分析)
科研費・若手Bの審査結果を受けて、これまでとは違う審査領域で勝負。面接だったけど、無事合格。(逆に若手BはA判定も不採用。。)

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・2016/10/14 審査結果がweb上で公開。
「面接」という結果(約8割が書類審査で不採用)。
web上で面接に参加することを回答。
面接日は12/1に決定しているが、面接時間(スライド発表4分の質疑応答6分)は後日画面に表示されるとのこと。
後日、確かに画面上に面接時間が書かれていた。
面接にはスライドをA4サイズに印刷し、15組持参せよとのこと。結構な分量だ。

・2016.12.1 面接当日
指定の面接時間の30分前までに受付をすませる必要がある。領域と名前を言ってリストを照合してもらう。
待合室で再度領域と名前を言う。
待合室で名前が呼ばれるまで待機するが、その間にスライドの接続チェックを行うブースで確認を済ませておく。
(手引きを見落として、面接会場にスライド印刷したものを持参するのを忘れている人も…。なくても一応いいらしいけど、まだ時間に余裕もあったからコンビニに走ったのかな?)
名前が呼ばれると面接室(領域ごとに何部屋かあり、椅子が並べられている)の前に座らされる。
誰か辞退したのか、面接開始時間が15分ほど繰り上げられた。早めに受付しておいたほうが無難。
自分自身はパソコン(とプロジェクター接続のためのコネクタ)だけ持って入り、面接補助の方が荷物を持って入ってくれる。資料も配布してくれる。なお、ポインターは借りられる。
審査員8〜10人、事務員5人くらいがコの字型に配置された机に座っている。部屋は薄暗い。
接続を済ませ、司会の方の合図を待ってプレゼン開始。タイトルのスライドを除き、4枚で臨んだ。補助スライドは結局使わず。
質疑が終わると、すみやかに部屋を出され、ビルからも出される。

<面接で聞かれたこと>
・手法の独創性(世界で初めて行われる研究なのか?新規性は?)
・着目する研究対象地域のユニークさは?
・大型プロジェクトの一環では?あなたの研究の独創性は?

・2016.12.26 14:00 システム上に面接の結果が開示 ➡︎ 「採用内定」
ちなみに学振作業中になったのは前の週の12/22(たしか)
4月以降の住所や銀行口座の登録をWeb上でする(3月末締め切り)

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<採用1年目>
・2017.1.11 「採用手続き関係の書類が届く」との旨のメールが届く

・2017.1.13 自宅宛に採用手続き関係の書類が届く
書類と順守事項について。また研究倫理e-larningも受講せよとのこと。
締め切りは3/6と4/10の2種類。
学位授与証明を出身大学院の事務に依頼。
➡︎3月締め切りの書類を郵送

・2017.1.27 受け入れ研究機関から特別研究員奨励費の研究計画調書作成についての案内がくる
所内締切は「2/14」

・2017.1.30 学振から、DCの研究費重複受給の制度が変わるというメールが届く
➡︎関係ないので無視

・2017.1.31 電子申請システム上で入力を行い、特別研究員奨励費の研究計画調書を作成
3年間の中で何にどれくらいお金を使うかを書く。
システム上で提出ボタンを押すと受け入れ研究機関の担当者にPDFファイルが送られる(らしい)。

・2017.2.8 どうやらシステム上で提出ボタンを押す前に、PDFファイルを研究機関の提出者に確認してもらう必要があった模様。確認してもらい、再提出。

・2017.2.24 受け入れ研究員の承諾書の書類は早めに手続きしてくださいね、という念押しのメールが研究機関より届く。4月に署名・捺印いただく予定だったけど、早めに郵送することに。

・2017.2.28 現在の所属研究機関のメーリス経由で、
「出産・育児に係る採用の中断及び延長」
「病気を理由とする採用の中断及び延長」
の制度整備に関する案内が届く。

・2017.3.22 所属研究機関より郵送で「採用時受け入れ承諾書」が届く。「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」と併せて、学振本部に郵送。

・2017.3.23 学振の採用内定者ページで、引越し先の住所・連絡先を登録。

・2017.3.27 電子申請システムの公開期限が3月末ですよ、というメールが届く(自分の合否や不採用だった場合の得点などが見れなくなるということ)。

・2017.4.27 所属部局の事務から奨励費が内定したとのメールが届く。
所属研究機関のローカルネット上に学振PD全員分の内定額が載ったファイルがあった。
他にも学振の電子申請システム上でも確認できた。
一人は実験系の特別枠に申し込んでいたようで、数割高い金額だった。

・2017.4.28 電子申請システム上で必要事項(出費の内訳や研究目的、今年度の研究計画など)を記入し、確認用のpdfを事務に提出。

・2017.5.8 学振PDの採用通知と身分証明書が研究所事務に届く➡︎後日受け取り

・2017.5.22 学振PDの給与が2ヶ月分振り込まれる

・2017.5.25 平成29年1〜3月分の源泉徴収票を提出してくださいというメールが学振から直接届く(6/23締切)
➡︎前職の名古屋大学に発行を依頼(6/10)
➡︎郵送で提出(6/21)

・2017.7.10 所属部局の事務から奨励費の内訳(直接経費・間接経費)に関するメールが届く(33万円も間接経費が入るのね。。)。
学振からの交付内定通知書と科研費ハンドブックも郵送される

・2017.8.14 学振からマイナンバー情報を提供くださいというメールが届く.後日,委託業者から封書が届く.9/29必着でコピーを簡易書留で送れとのこと.

・2017.9.19 「特別研究員の海外渡航状況に関するアンケートについて(ご協力のお願い)」がメールで届く.海外渡航の期間,希望,海外に行きにくい理由などに関して.

・2017.10.1? 「年末調整に関する申告書類」が郵送で届く。
健康保険や年金などの支払い情報を記入し、提出

・2018.1.9 学振の各制限(副業禁止など)の緩和に関する通知がメールで届く

・2018.2.1 特別研究員の中途辞退に関するメールが届く。継続する人は返信不要。

・2018.2.13 出産・育児による特別研究員の中断に関する案内がメールで届く。

・2018.2.15 次年度の「4月期提出書類」の案内がメールで届く。
報告書や研究遂行経費の支出報告書を4/1-4/20の間にwebで提出しなければならない。
→4.12にwebで提出。確認メールを受信。

・2018.3.1 「平成30年度以降の研究遂行経費の取扱いについて」の確認のメールが届く。引き続き利用するので、返信は不要。

・2018.3.29 給与の支払日の変更に関するメールが届く。通常は4月分は5月にまとめて。
「平成30年3月1日現在資格がPD等(SPD,RPDを含む)の者について、平成30年3月30日(金)に4月分の研究奨励金を支給する」

<採用2年目>

・2018.10.1 「年末調整に関する申告書類」が郵送で届く。
健康保険や年金などの情報を記入し、提出(11/8締切、最終は11/15)
健康保険の支払い証明は不要だが、年金は年金機構から郵送されるハガキの原本を添付する必要があるので、しばらく待機(11月初旬に郵送されるはず。出張中だしどう対応しよう?)
去年12月に入籍したので、変更のための「2017年度(訂正分)」も併せて提出(昨年の控えを取るのを忘れていたので少し面倒だった)
→年金機構のハガキと生命保険の控えを添付し、郵送(国民健康保険のハガキは添付不要とのこと。近くの市役所で年間の支払額を教えてもらった)

・2019.1.31 源泉徴収票が簡易書留で郵送される

・2019.2.4 特別研究員の中途辞退に関するメールが届く。継続する人は返信不要。

・2019.3.28 メールで4月分の給与を明日振り込む(通常は5月に2ヶ月分まとめて)という連絡が入る(次年度予算の年度内閣議決定によるもの)。

・2019.3.29 次年度4月分の給与とともに還付金「13,970円」が振り込まれる(例の給与のうち3割を研究経費に含める、という制度に申し込んでいたため)。

<採用3年目>

・2019.4.1-20 学振PD二年目の成果報告書の提出(受け入れ教員や自分の捺印をした書類をスキャンしたのち、専用ページでpdfをアップロード)

・2019.8.26 研究遂行経費の扱いについての説明がメールにて届く

・2019.10.7 年末調整に必要な書類の提出に関してのメールが届く(11/7までに必要書類揃えて郵送。11月初旬に自宅に届く書類(年金機構のハガキ)があるので、それまで待機)

・2019.10.15 台風19号によって被害を受けた人がいたら申告して欲しいという旨のメールが届く。

2019年1月19日土曜日

今後の予定(改)

自分の忘備録として。変更点が色々。

・1月
AORIで実験→大槌調査

・2月
ブルーアースサイエンステック2019でのIODPの成果報告→AORIで実験

・3月
KCCコアスクールのチューター
マインツ大学@ドイツ滞在
東北大学コアスクール(炭酸塩記載)

・4月
EGU@オーストリア
AORIで実験

・5月
JpGU@幕張(招待講演)
AORIで実験

・6〜7月
年輪年代学国際学会@クロアチア
→AWI@ドイツで1ヶ月実験
→INQUA国際学会@アイルランド
マインツ大学@ドイツ滞在

・9月
地化学会@本郷

・10月

・11月〜翌1月
地球環境史学会@つくば
白鳳丸世界一周航海(バルパライソ〜プンタアレナス〜ケープタウン)